現在情勢に対する韓学同京都の認識について

(機関紙「無窮花」2006年度文化祭号 情勢特集より)


在日朝鮮人関連
・ ウトロ地区をめぐる動き
・ 民族団体「和合」をめぐる動き
・ 各種戦後保障裁判
・ 権益・法的地位をめぐる動きと現状

日本国内情勢
・ 教育基本法「改正」の動き
・ 共謀罪・改憲をめぐる動き
・ 靖国参拝問題

朝鮮半島情勢
・ 韓日・南北関係
・ 朝日関係
・ 朝米関係

国際情勢
・ イラク・イラン情勢
・ パレスチナ・レバノン情勢
 

 

●在日朝鮮人関連

 

ウトロ地区をめぐる動き

 

2006年9月26日、京都府宇治市伊勢田町のウトロ地区の土地所有権をめぐる訴訟で、最高裁第一小法廷は、登記されている大阪市内の男性の上告を棄却し、不動産会社である西日本殖産の所有権を認める二審大阪高裁判決が確定することとなった。

これを受けて10月13日、ウトロ町内会は京都府宇治市の久保田市長あてにウトロ地区の実態調査を求める要望書を提出した。ウトロ地区には「生活困窮者が多い」ことなどをから、要望書では、「公営住宅や高齢福祉施設の建設を抜きにまちづくりは考えられない。行政と住民の意見交換や協力を前提に、行政の力強い施策の推進が必要」と指摘しており、公営住宅などの実現のために住民の実態調査を求めた。

さらには10月20日、ウトロ町内会は、「まちづくりのためには宇治市民のみなさんの理解と応援が必要。ウトロを知ってもらわないと始まらない」としていることから、多くの宇治市民にウトロ地区の現状を知ってもらうため、ウトロ地区外の住民を対象としたフィールドワークを行った。

そして10月29日には、ウトロ住民は住民集会を開き、6月に取り決めた「町内会が資金を集め地区の土地を一括で買い取る」という方針に基づき、建築専門家を交えて新たなウトロまちづくりプランについて話し合うなど、土地所有権者が確定したことにより、本格的に土地の買い取りに向けて動き出すこととなった。

 

9月18日、スイス・ジュネーブにて開かれた国連人権理事会第二会期で、2005年7月に日本の人種差別・外国人嫌悪などの状況調査の一環として、ウトロ地区の実地調査に日本に公式訪問したドゥドゥ・ディエン氏の報告書が取り上げられた。この報告書に対して日本政府は、ドゥドゥ・ディエン氏が行った調査が、第二次世界大戦下で日本が行った強制連行等について触れていたことから任務逸脱であるとした上で、「日本国憲法で法の下の平等を明記しており、外国籍者にも権利を与えている」などという反応を示した。

 

ウトロとは、京都府宇治市伊勢田町51番地にある在日朝鮮人の集住地域である。日本によるアジアへの侵略による日中戦争が激化する中で、1910年、日本政府が取り決めた軍用の京都飛行場建設工事のために約2000人の労働者が動員された内の約1300人であった朝鮮人労働者が安価な賃金で雇われ、建設現場の近くにあったバラック長屋の飯場に住むようになった。これがウトロの歴史の起源である。1945年の日本の敗戦によって京都飛行場の建設は中止されることとなったが、約1300人いた朝鮮人労働者は誰からの何の保障もないままに失業に追い込まれ、ウトロに残されることとなった。

そして戦後もウトロに居住することとなった在日朝鮮人労働者であるが、その間においてもウトロの土地所有権は移転を繰り返すこととなる。まず戦時中から土地所有権を保有していた日本国際航空工業が、民需会社へ転換、その後分割され、日国工業にウトロの土地所有権は移ることとなった。そして1962年、日国工業が日産自動車の系列会社である日産車体に合併され、同時にウトロの土地所有権も引き継がれた。1987年には、ウトロ住民には全く知らされないかたちで日産車体がウトロの土地所有権を売却し、土地所有権は西日本殖産へと移った。その後、2004年にいったんは大阪市内の男性に土地所有権が移ることとなるが、今回の判決により、現在に至っている。

1989年には、西日本殖産が、ウトロ住民が土地を不法占拠しているとした上で、建物の取り壊し、土地の明け渡しを求める訴訟を起こした。これに対してウトロ住民は、土地の時効による取得を主な主張としながらも、在日朝鮮人が日本に渡航せざるをえなかった歴史的経緯や当時の生活状況を訴え、ウトロをめぐる問題が単なる土地所有権問題ではないことを主張した。裁判と平行してウトロ住民が土地の一括買い取りをすることを前提とした和解交渉が行われたが、金額の折り合いがつかず和解交渉は決裂することとなった。結果として、2000年11月14日に、最高裁の上告棄却によって、ウトロ住民の敗訴が確定した。これにより現在、ウトロ住民はいつ強制執行が行われるかわからないという危機的な状況にさらされている。昨年8月には、当時の土地所有権者であった個人から、ウトロ地区にある空き家一軒に対して強制執行による家屋取り壊しの「告示書」が張り出された。これに対してウトロ住民やその支援者たちは9月に「緊急抗議集会」を行い、改めてウトロ地区への強制執行に反対意思を表明した。この強制執行に関する一件は、当時のウトロ地区に関して、土地の売買契約無効を訴えた西日本殖産と個人とが裁判によって係争中であったことから中止に至ったが、ウトロ住民への配慮ではなく、あくまで結果として回避されただけである。裁判の結果が、西日本殖産の勝訴で終わったことで、強制執行の危機は当面の間は回避されることとなったが、依然としてウトロが強制執行の危機にさらされているという状況は何ら変わりなく、予断を許さない状況は現在に至っても続いている。

このようなウトロの強制執行をめぐる一連の動きから、韓国政府や市民団体において、日本社会における清算されない歴史問題・戦後補償問題としての認識が強まり、韓国のNGO団体であるKIN(地球村同胞青年連帯)がウトロ支援の募金活動を開始することを先駆けとして、近年では韓国政府からウトロ地区訪問のために担当者が来日するなど、本質的な問題解決に向けての動きとはなりえていないものの、韓国国内でのウトロへの関心を高め、ウトロを支援する動きを広げるものとなっている。

ウトロに関する問題の根本に存在するものは日本による朝鮮植民地支配である。日本による植民地支配の下、あらゆる政策的な搾取などの抑圧によって貧窮に追いやられた多くの朝鮮人は、日本に居住せざるを得ない状況となり、ウトロでの京都飛行場建設のために安価な労働力として酷使された。更には、戦後も引き続き日本政府は何の補償も行わないままに約60年もの間、ウトロ住民を放置し続けた。このように、ウトロをめぐる問題には植民地支配という歴史的経緯から見た旧植民地出身者としてのウトロ住民の存在があり、単なる土地の不法占拠という土地所有権問題ではなく、日本政府の「戦後補償問題」である。そして何よりも、実際にウトロで居住しているウトロ住民の生活に直結した問題であり、ウトロ住民の生活はまずもって保障されるべきである。それにも関わらず、日本政府・京都府・宇治市といった行政は、ドゥドゥ・ディエン氏の報告書への対応やウトロへの取り組みにおける質問状提出の件に関する反応が弱いことなどから、歴史を顧みた上での戦後補償としての観点からウトロ問題に向き合う姿勢はなく、ウトロをめぐる問題をあくまでも土地所有権問題としてのみと捉え、積極的な介入も行わないまま現在においてもウトロ住民を放置し続けている。このような日本政府を始めとした行政の姿勢は、過去の植民地支配における在日朝鮮人の形成といった歴史的経緯に向き合おうせず、なぜウトロが存在しているのかという歴史的原因に対して目を背け続けるといった、責任回避的な姿勢の表れであると言える。

 我々韓学同京都は、ウトロの強制執行に反対し、ウトロ住民のウトロでの生活の保障を最重要課題としながら、在日朝鮮人という立場でもって、ウトロをめぐる問題の根本に存在する日本の朝鮮植民地支配を問い続けていく。そして、日本政府を始めとした行政が、在日朝鮮人の歴史性に向き合い、日本による朝鮮植民地支配の責任を果たしていく上における、「戦後補償問題」としてのウトロ問題の解決に向けて訴えていく。

 

             

 

民族団体「和合」の動き

 

 2006年7月6日、在日本大韓民国民団(以下、民団)の河丙ト団長(当時)は2006年5月17日に在日本朝鮮人総聯合会(以下、総聯)と合同で発表した共同宣言を撤回する談話文を発表した。談話文では、4日未明から5日までに朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)が連続的に発射した中長距離ミサイルについて、「在日同胞の生命と財産を守る民団として決して容認できるものではない」として、共同声明の白紙撤回と同時に共和国に対してミサイルと核開発の即時停止および再防止を求め、これに対する総聯への呼びかけを表明した。

 5・17共同宣言発表以降民団内では、地方の反発により組織的混乱と対立が続いていた。6月24日の民団第60回臨時中央委員会では、共同宣言を撤回はしないものの白紙状態に戻っていることを河団長が認めた。そして共和国のミサイル発射により、民団側から共同宣言は撤回された。その後においても河団長は自身が団長を継続する意思を示したもの、民団内の河団長に対する不満は日増しに拡大していき、8月21日には民団中央本部が河団長の9月15日付けでの辞任を確認した。その後民団中央本部は9月21日に第50回臨時中央委員会を開き、新団長に鄭進氏を選出、鄭進執行部が誕生することとなった。鄭団長は9月21日の臨時中央大会での所信発表で、「民団の正常化と内外の信頼を回復し、安定と前進を担保する挙団的な体制の確立」を公約として掲げている。この所信は従来の韓国追従路線を採ろうとする意思が見られ、今後においても民団と総聯の対立は予想される。

 民団と総聯の対立は日本の植民地支配解放以降、さまざま理由によって朝鮮半島に帰ることができなかった在日朝鮮人らによって結成された民族団体が紆余曲折する中、朝鮮半島では冷静構造に巻き込まれた結果二つの「国家」が成立したことで、日本においても韓国追従路線の民団、共和国追従路線の総聯が誕生したことから始まった。その後においてもあらゆる局面での対立が見られたが、2000年の金大中韓国大統領と金正日共和国国防委員長による6・15共同宣言によって、民団の在日韓国民主統一連合(以下、韓統連)に対する敵対姿勢は継続したものの、民団と総聯の対立は徐々に緩和されていった。しかし在日民族団体はあらゆる諸情勢に未だなお影響される存在である。共和国のミサイル発射は、朝鮮半島における分断だけではなく、米国主導の「対テロ戦線」に動く世界情勢、それに連動する形で右傾化していく日本情勢によって、民団を共同宣言撤回へと踏みきらせた。

 総聯関連施設に対する2006年度の固定資産税は、昨年度に税減免措置をとった自治体の約90%が今年度も継続する方針であることが、7月20日に日本総務省などの調べでわかった。これは全国自治体の約3分の2に値する数である。日本政府は共和国のミサイル発射直後の5日に(ミサイル発射に対する)「制裁措置」を発表し、総務省は6日に「(総聯関連施設の)公益性の有無などを厳正に判断すること」とし減免措置の見直しを関係自治体に通達した。また「北朝鮮バッシング」により日本の世論は「反北朝鮮」へと動いていき、朝鮮学校に通う児童、生徒に対する暴行、暴言、脅迫、いやがらせ事件は112件にのぼっている(9月16日時)。このように特に日本における「北朝鮮敵視政策」に連動する形で行われる総聯弾圧の動きは、ますます在日民族団体の存続、延いては在日朝鮮人の生を脅かしている。

 在日朝鮮人は日本の朝鮮植民地支配の所産として日本に移住せざる得ず、冷戦構造という大国の利害関係によって生じた朝鮮半島の分断に大きく影響され、日本に居住し続けている。そんな中これまでに在日朝鮮人は、自身の主体的な生の獲得・維持ため、多くの在日民族団体を組織し、運動を展開してきた。しかし民団は韓国追従路線、総聯は共和国追従路線を採ることで、朝鮮半島における「二国家」の成立により波及する影響を受け、今日まで対立を続けてきた。このように朝鮮半島情勢に常に影響されながら、米国主導の大国のみが支配する世界情勢に影響され続けてきた。そして何より、在日朝鮮人という存在が生まれた根本的な原因を作り出した日本が、朝鮮植民地支配に対して一切向き合わず、責任、清算の放棄、植民地支配という歴史の美化・歪曲、そして在日朝鮮人に対する同化・排除・抑圧政策を通して未だ在日朝鮮人を支配していることを克服できず、今ではこの状況に甘んじている。そして朝鮮半島の分断による本国からの圧力によって、またそれを利用し共和国追従路線を採る総聯に対する日本政府の弾圧によって、在日民族団体の固定化、日本国内世論の「反北朝鮮」化、「反朝鮮人」化は深刻なものとなり、それらに影響され現在の在日朝鮮人の分断はもはや朝鮮半島における思想の違いによる単純なものではなく、より「複雑化」している。このように在日朝鮮人は日本の植民地支配以降も、朝鮮半島情勢、世界情勢、そして日本の情勢に影響され、その生は支配されているといっても過言ではない。

 在日朝鮮人にとっての在日民族団体は、在日朝鮮人が受けているあらゆる支配構造からの解放を成し遂げ、日本社会における在日朝鮮人の主体的な生の獲得・維持を成し遂げるものでなければならない。それはつまり在日朝鮮人が日本の朝鮮植民地支配という歴史性に主体的に向き合い、克服しうる在日朝鮮人社会である。よって在日朝鮮人が目指す在日民族団体の和合とは、在日朝鮮人という存在を生み出した日本の朝鮮殖民支配に徹底的に向き合った上で、あらゆる支配構造からの解放を在日朝鮮人総体を以って目指しうるものでなくてはならない。

 日本政府は、自身が犯した朝鮮植民地支配という事実に向き合い、反省し、今回のように在日民族団体が和合に向かうことを許さない在日朝鮮人の分断状況、日本国内状況を作り出していることを重く受けとめるべきである。そして今回のような、在日朝鮮人同士の対立や朝鮮半島における分断を自国の軍国化・右傾化へと利用し、今後も一層在日朝鮮人に対して支配を行っていこうとする日本政府に断固反対する。

 在日民族団体は、自身らを取り巻くあらゆる支配構造に向き合えなくしたしまった対立状況を早急に打開し、在日朝鮮人総体を以って在日朝鮮人の主体的な生を実現しうる和合を目指すことで、在日朝鮮人を未だ支配し続ける構造からの解放を目指すべきである。

 我々韓学同京都は、在日朝鮮人は「複雑化」している分断状況の克服こそが必要であるという認識のもと、それを阻害する全ての抑圧に断固反対する。そして在日朝鮮人が受け続けている支配構造からの解放、在日朝鮮人の主体的な生の実現を断固要求する。

 

 

 

 

各種戦後補償裁判

 

◯在韓被爆者戦後補償問題

 2006926日、来日しないことを理由に被爆者健康手帳の申請を認めないのは、被爆者援護法の解釈の誤りとして、広島で被爆した三菱元徴用工・韓国在住の李相Yさんら2人が国と広島県を相手取り、却下処分の取り消しと35万円の損害賠償を求めた訴訟において、「原告は提訴後に来日して手帳の交付を受けており、訴えの利益がない。手帳の交付は重要な手続きであり、国内での直接面接を手続きの原則とすることには一定の合理性がある」として処分の取り消し請求を却下し、賠償請求を棄却した。

 被爆者援護法とは、被爆者に対する社会保障及び国家補償双方の性格を併用し、被爆者の国籍や財力を問うことなく一律に援護を講じるという人道的目的の立法である。しかし1974年、旧厚生省は、「在外被爆者は被爆者援護の適用外とする」という内容の通達を出し、日本国外に存在する被爆者を援護の対象外としてきた。その後2003年にはいり、被爆者援護法の施行令が一部改正され、本人が来日し申請した場合に限り、在外被爆者への各種手当の支給が始まった。

 この在外被爆者の支給が始まったきっかけとなったのは、第二次世界大戦当時日本に徴兵され被爆し、その後韓国で生活していた郭貴勲さんが、1998年に来日し、「被爆者健康手帳」の交付と「健康管理手当」の支給を受け韓国へ帰国した際、大阪府によって手帳を失権させられ、支給を打ちきられたことに対し、国と大阪府を相手に、処分取り消しを求めた裁判である。2003年大阪高等裁判所は判決において、「被爆者はどこにいても被爆者」として在外被爆者の手当受給をはじめて認めた。

 原告の李相Yさんは脳内出血のため右半身が麻痺し、これまで来日出来なかったが、裁判が長期化することを懸念して、急遽来日した。被爆者健康手帳が交付されないと、健康管理手当の受給申請も出来ないため焦っていた。家族の献身的な介護で不自由な体にむち打って来日し、長崎で被爆者健康手帳を取得することが出来たが、まさに命を削る手帳の取得であった。

 しかし、今回の判決では、被爆者健康手帳を取得したことを逆手に取って「既に手帳の取得をしており訴えの利益がない」として国は原告の訴えを却下した。高齢や病気で来日することが出来ない在外被爆者が数多くいるにも関わらず、日本政府はあくまで「被爆者手帳の有無」を在外被爆者の保障の根源にすえて、在外被爆者手帳を持っていないと在外被爆者であることさえ認めようとはしないのである。

 今回の裁判で日本政府は、高齢と病気のために来日出来ない在外被爆者を切り捨て、あくまで被爆者手帳は来日しないと取得出来ないと主張する日本政府の姿勢から、郭貴勲裁判で切り開いた「被爆者はどこにいても被爆者」という地平を覆したといえる。また、これまでの在外被爆者の国家賠償をめぐる判決において日本政府は一貫して請求を棄却してきたことからも、日本政府が朝鮮を植民地支配していたという事実に対する本質的な解決を図られていないのは明白である。多数の朝鮮人は、日本政府による朝鮮植民地支配政策によって日本に生活することを余儀なくされその間に広島・長崎への原爆投下によって被爆した。在韓被爆者に関する「戦後補償問題」は日本の植民地支配に起因しているにも関わらず、日本政府は過去の植民地支配を省みることなく問題を処理しようとしている。

 我々韓学同京都は、植民地支配を顧みることなく、在外被爆者の歴史性に立った補償をしようとしない日本政府に反対する。そして、日本の植民地支配の所産である在日朝鮮人という立場から今後の裁判の動向に注視していく。

 

 

◯「従軍慰安婦」問題

 第二次世界大戦中、中国南端の海南島で、「慰安婦」とされたとして、中国人女性8人(うち2人死亡)が国に2300万円の賠償などを求めた訴訟で、東京地裁は30日、請求を棄却した。判決は、「戦前の国の違法行為で賠償責任は問えない」という「国家無答責」の法理に基づき、賠償責任を否定した。国側は、被害の事実について否認しなかったものの「戦時中の権力的行為については国に賠償責任はない。仮に責任があっても賠償請求権は20年の除籍期間を過ぎて消滅した」などと反論し、請求棄却を求めていた。

 被害者の高齢化で新たな提訴は困難なため「最後の慰安婦訴訟」となるとみられている今回の訴訟で、原告の陳亜扁さんは、194145年、1418歳の時に拉致されるなどして慰安所に監禁され、連日性的暴行を受けたと主張。戦後も日本政府が事実を認めず謝罪もしないため周囲から「日本軍相手に売春した」などと避難されて精神的苦痛を受けているとして、賠償や謝罪文交付などを求めていた。

 

◯大江山鉱山中国人元労働者強制連行訴訟

 第二次世界大戦中に強制連行され、京都府与謝野町(旧加悦町)の大江ニッケル鉱山で過酷な労働を強いられたとして、劉宗根さんら中国人労働者や遺族が国と企業に一億千百万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟において、請求は棄却された。「国家無答責」を斥けた一審よりも重い判決となった。判決において国が鉱山を経営していた日本治金工業と共に強制連行と強制労働に関与したことは認めたが、「国家無答責」の法理や、二十年で賠償請求権が消滅する「除籍期間」を理由に「国家は賠償責任を負わない」と結論づけた。

 また、これまでに判決が出た全国14訴訟で、福岡や新潟など4地裁のみが勝訴したが、うち2つは高裁で逆転敗訴している。多くは時効(十年)や除斥期間を理由にしており、これまで高裁レベルで国の賠償責任を認めた例はない。

 

「国家無答責」「除斥期間」を理由に日本の司法が、過去の歴史性を顧みることなく、現行する法を理由にし、積極的な法の解釈を行わず簡単に「戦後補償」という観点を切り捨てる判決を下すことから、日本が、「戦後補償」問題に対してすでに過去のもの、「解決済み」のものとして捉え、日本による植民地支配を省みない姿勢が分かる。またそのような日本の「歴史認識」から、在日朝鮮人が日本社会に置かれている現実が見えるといえる。

日本政府が自らを正当化する論理によって、過去の歴史性から強いられる主張や請求を閉ざし、今現在も「戦後補償」に関する問題の加害性に向き合っていないということは、在日朝鮮人の存在を否定・抑圧し、在日朝鮮人が自らの出自やルーツを否定することにも繋がる。在日朝鮮人が植民地支配についての認識をもつことは、在日朝鮮人として生き、自らの立場を認識する上で必要である。植民地支配という歴史性を省みることなく、在日朝鮮人の歴史を隠蔽しようとする日本政府の姿勢は、在日朝鮮人の歴史性を省みず、在日朝鮮人の主体的な生を阻害しかねないものである。

我々韓学同京都は、日本政府が「日本政府に反対する戦後補償問題」に関しての責任を回避する姿勢を取り続ける。そして植民地支配責任を省みた上での各種「戦後補償問題」の早期解決を要求すると共に、今後の裁判の動向に注視していく。

 

 

 

権益と法的地位をめぐる動きと現状

 

○高齢者無年金問題

国民年金制度に加入できず、また経過措置も講じられなかったことで、年金から除外されてきたことは憲法や国際人権規約に違反するとして、大阪府在住の在日朝鮮人高齢者5人が政府に対し慰謝料を求め2003年に提訴した訴訟について、20055月大阪地裁は訴えを棄却した。そして20061115日、その控訴審大阪高裁も原告の訴えを棄却した。また、200412月に京都府在住の在日朝鮮人高齢者5人が日本政府を訴えた民事訴訟が929日、京都地裁で結審した。来年二月に判決が言い渡され、京都無年金高齢者訴訟も決着を迎える。また、99日福岡県で在日高齢者無年金訴訟の提訴を決めている7人の高齢者に加えて、原告団への参加者が募られるなど裁判の決起集会が行われ、早ければ年内にも提訴がされる。

1959年制定の旧「国民年金法」には国籍条項が設けられ、被保険者資格、また国庫の負担による無拠出年性金である「老齢福祉年金」被支給資格は日本国民に限るとして日本国籍を有しない者を排除した。植民地出身者として日本国籍を強制されていた在日朝鮮人に対し、「解放」後サンフランシスコ講和条約に伴う日本国籍の一方的剥奪と「朝鮮」籍の付与を行ったうえで、社会保障制度の資格を単に日本国民とのみして、在日朝鮮人の存在を社会保障から抹消したといえる。1982年日本は「難民条約」批准に伴い、「年金法」の国籍条項の撤廃を余儀なくされたが、これまでに不支給、失権の状態にある者について遡って補完措置ないし経過措置を講じないことが明記された。そして1985年の「国民年金法」改定時にも同様に外国籍のために排除されていた者に遡って被保険者とする措置は行われず、その結果1986年において既に60歳以上で「老齢福祉年金」年金が支給されていなかった在日朝鮮人が一貫して年金から排除されたまま放置される事態が生じた。

大阪在日高齢者無年金訴訟では国籍要件撤廃時に外国籍による不支給、失権状態を遡って回復しないことを明記した立法の違法性、またその後も放置し続け何ら措置を講じなかった立法不作為を訴えたが、20055月地裁判決は在留外国人に被保険者資格を認めないこと、また在日朝鮮人の歴史性に鑑みた取り扱いを講じず外国人一般と同等に扱うことは「立法府の裁量の範囲内」であり、「不合理な差別とは言えない」として政府に何ら責任が生じないとの判決を下した。今回控訴審判決で再び立法府の「裁量範囲内」であり、政府に何ら責任はないとする判決が繰り返され、控訴棄却となった。この間に大阪訴訟の原告の一人は亡くなっている。そして大阪訴訟と同様、在日朝鮮人が老齢年金の支給から排除されていることの違法性を問うて慰謝料を求める訴訟が京都でも200412月に地裁に提訴され、現在京都高齢者無年金訴訟も残すところ判決を待つのみとなった。

在日朝鮮人の年金訴訟に表れているのは、戦後、植民地支配のもと日本に居住していた植民地出身者に対し、年金をはじめとする社会保障制度から排除した措置についてその問題性を認めず、その後60年以上日本に居住してきた在日朝鮮人に対していまだにそれを正当化し続ける日本政府の姿勢である。戦後日本に居住した在日朝鮮人一世、二世らが社会保障においては、一連の措置によって政府が何ら歴史的関与を持たない単なる外国人かのように扱われ、厳しい困窮状態に留め置かれながら生きてきたことに対して日本政府が慰謝料等賠償によってその過ちを認めることは、在日朝鮮人の朝鮮植民地支配の歴史性とそこにある日本政府の責任を認めることにつながる。一連の年金訴訟で国は一貫して在日朝鮮人の歴史と存在に蓋をしようとする姿勢をとり、そのため原告らが求める年金から排除に対する賠償請求は一顧だにされない。求められているのは原告ら在日朝鮮人高齢者の「外国籍」が何を意味するのか、そこへの自政府の歴史的関係をみとめ、在日朝鮮人への差別的措置の誤りを認識し、日本に住み続け年金からの排除の結果苦境におかれた在日朝鮮人高齢者へ補償を行うことである。

 

○入居差別訴訟

兵庫県尼崎市の在日朝鮮人三世の李俊熙さん(在日韓国青年同盟兵庫県本部委員長)、朴絢子さん夫婦が、韓国籍を理由に賃貸住宅への入居を拒否されたのは憲法、人種差別撤廃条約等に違反するとして、家主と仲介業者双方に対し損害賠償を求めた訴訟で、105日大阪高裁で、国籍を理由に入居を拒否した経緯を認め、家主に計22万円の賠償を命じた一審判決を支持し、仲介業者への請求は認めない控訴審判決が確定した。

この事件は200310月に尼崎市内の不動産店舗内で希望物件を申し込んだところ、たまたま来店した家主が申し込み書本籍欄の「韓国」という記載を見て不快感を露にし、韓国人であることを理由に申し込みを拒否した。原告らは不動産業者と家主に対して話しあいの場をもち、神戸地裁尼崎支部へ「人権救済申し立て」を提出するなどしたが、業者も家主も「外国人」を理由にした入居拒否が差別であるとは認められないとの姿勢であった。これに対し原告らが20046月に提訴し、家主と業者に慰謝料など計242万円の損害賠償を求めた。そして、2006115日一審神戸地裁尼崎支部判決は国籍にもとづく入居差別は法の下の平等の禁止する差別にあたるとして、家主に慰謝料など計22万円の支払いを命じた。仲介業者「関西住宅」への請求が認められなかったことで、それでは入居差別はなくならないとして原告側が控訴したが、105日控訴審大阪高裁判決では訴えが棄却され、一審判決が確定した。高裁判決で国籍による入居差別が違憲・違法であるとの明確な判断を示し、また仲介業者は家主が契約拒絶の意図をみせた場合に、その撤回を求めて働きかける義務があるとの見解が明示されたことは画期的であった。しかし、仲介業者の法的責任を明示せず、また賠償も課してはいない。

これで今年裁判にもちこまれていた二件のうち一件が訴訟を終え、現在審理中の入居差別訴訟は残る一件となった。これは韓国籍を理由に大阪市内の賃貸マンションへの入居を拒否された在日朝鮮人二世で大阪弁護士会所属弁護士の康由美さんが20051117日に大阪地裁に提訴した訴訟で、家主の差別行為に対する賠償と大阪市の不作為責任を訴えている。20051月に友人とともに入居を申しこんだが、家主から入居を断りたいと言われ、康さんが仲介業者に確認したところ国籍が原因となったことが知らされた。その後家主が入居拒否の理由を翻し、外国籍を理由にした拒否であることを認めない姿勢をとり、康さんが提訴に踏み切った。大阪市に対しても、1993年の大阪地裁判決が外国人への入居差別を人権侵害であり、違法とした判決が確定しているなど、市内での入居差別の実態を把握しているにも関わらず何ら措置も講じてこなかった責任を求めている。裁判では同じく大阪市内で韓国籍を理由に入居拒否された司法修習生の陳述書も提出される。

このように、民族運動に関わる人や弁護士が入居差別の不当性を訴える訴訟を起こす現状からは、現在も入居差別に会っても泣き寝入りせざるを得ない多くの在日朝鮮人の存在がうかがえる。事実、2006910日付け朝日新聞「声」欄には京都市在住の在日朝鮮人二世が東京に住むことになった娘の物件を探しており「外国人OK」とあった広告を頼りに不動産屋にあたり民族名を記入したところ、家主が「朝鮮半島出身の人はだめ」との意見を表明していると説明され、入居申し込みを断られた経緯と、この五年前にも子供が入居差別にあっていることを投書している。以前は在日朝鮮人あるいは外国人一般に対し「お断り」と公然と告知していたのがさすがに現在は憚られるようになったが、実際に申し込みがあれば依然として、理由を明示しない場合も含め差別がなされているのが現状である。また入居差別ではないが今年731日には積水ハウスに勤める在日朝鮮人男性が勤務中に民族名を載せた名刺を見た顧客から「スパイ」などの暴言を受けた事件を大阪地裁に提訴している。

住居の移転が必要なときに、国籍あるいは「外国人」であることを理由に入居差別に遭遇することは、生活の上でも精神的な影響の上でも在日朝鮮人に対する抑圧と規定が日常的に存在しているという問題である。朝鮮植民地支配のもと植民地出身者として生殺与奪の権を日本帝国政府・日本人に握られ差別的な境遇にあった朝鮮人のうち、戦後も生活基盤を日本に求めて定住した在日朝鮮人だが、その後60年を経てもその歴史性が誠実に向き合われることなく、日本に居住し生活する際に入居拒否にあう。外国籍、民族名などで自身の歴史性を表す在日朝鮮人に対して入居差別があり、入居差別にあわないことが幸運かのような状況に在日朝鮮人が置かれているのが現状である。これに対し政府や自治体が積極的に是正を行うべきであることは明らかである。

 

○義務教育退学問題

京都市立近衛中学校で義務教育期間に不登校であった生徒に「外国人」(韓国籍)であることを理由に学校側が退学処置をとったことに対し、後に義務教育からの退学を不当として生徒と保護者が京都市を相手取り今年2月に大阪地裁に国家賠償請求訴訟を提訴した。

在日朝鮮人四世の原告が義務教育たる公立の中学校に就学する権利があるかどうか、退学・停学が認められるかどうかが争点となっている。

生徒は小学校でも不登校期間があったため学校の授業についていけず不登校になり、母親である尹敏栄さんが学校に対処を相談していたが、有効な対処がなされないまま、「外国人には就学義務がないので除籍にすることもできる」との校長の発言を契機に退学届けの作成に至り、京都市教委が確認し200110月退学届けが受理された。その際生活保護世帯である尹さんらに退学後の教育機会が何も保証されてはいなかった。その後家庭での教育も有効にできず、退学処置に疑問を感じ、校長の異動などをきっかけに、文科省等に相談したところ復学が可能と言われ、同中学に一時復学したがその後生徒の希望で堺市に転居を決意し、2002年に転校した。後に、特別永住者である「在日コリアン」は憲法、子供の権利条約などによる教育の権利を有するにも関わらず京都市によって教育を受ける機会を喪失させられたとして提訴した。教育の権利について京都市側は「原告が中学校に就学する権利を有することは、否認する」「日本国籍を有しない者に対する義務教育の実施は憲法上および教育基本法上要請されていない」として「恩恵」を強調して退学処置を正当化する答弁で応じた。

戦後、在日朝鮮人は日本政府によって国籍が変更され、教育への権利の主体とされた日本国民ではなくなった。政府は特に戦後全国的に在日朝鮮人が主体となった民族学校の建設運動に対し弾圧を徹底し、多くを廃校に追い込んだ。同時に公立学校では就学の権利を認めず、あくまで温情的な対応として公立学校の在日朝鮮人児童生徒を就学させ、学校側の都合で退学させることができる体制を韓日地位協定前後まで是正していなかった。この間に「非行」などを理由に多くの在日朝鮮人生徒が退学にされ就学機会を挫折させられたが、在日朝鮮人を公立学校の教育権から排除してきた教育行政の責任が当時も現在も問われてはいない。日本政府は在日朝鮮人の独自の民族教育権を抑圧する一方で公立学校など公教育において在日朝鮮人をあくまで「恩恵」として在学させてきた。韓日条約以降状況は多少改善されたものの、在日朝鮮人総体に対し教育権を認めるための措置はいまだになされていない。  

今回、個々の経緯や事情はあろうとも、在日朝鮮人生徒の教育機会への権利がそれらに左右され、在日朝鮮人に対し「外国人」だから退学が可能という格好で、転校先などが何ら決まらないまま生徒に退学措置をとった事実は看過できない。さらにその責任を問われたとき、在日朝鮮人は義務教育への権利を有していないとして応じた姿勢は、在日朝鮮人が教育の主体者であると一切見なしてこなかった政府の姿勢に通じる。それは在日朝鮮人の国籍への歴史性を顧みる観点を否定する対応である。原告である保護者や生徒が自身を日本の公立学校でまなぶ主体者として事件の当時自覚していなかったとしても当然であろう。義務教育からの退学で問われるのは、植民地支配の歴史性が隠蔽され、単なる外国人としてのみ在学させ、在日朝鮮人の教育権の抑圧を正当化してきた点である。在日朝鮮人が日本で生活し、自身の歴史や権益についての学習を含んで教育に参加し、教育を享受できるか否かは「恩恵」ではなく、政府が教育の対等な当事者として在日朝鮮人を見なし、遇するための制度を整えるべき問題である。

 

○「朝鮮籍」者の再入国許可制限措置

朝鮮民主主義人民共和国によるミサイル発射実験が行われた75日付けで、法務省が地方入国管理局長に対し、「在日朝鮮人(再入国許可書保持者)からの再入国許可申請があったときは、渡航目的、渡航先、日程等を詳細に把握し」、「2回以上の渡航日程の提出のない者については、一回限りの許可とする」よう指示した。政府はこの法務省入国管理局長名義の通達を「北朝鮮当局職員の入国を認めないための措置」であり対共和国制裁の一環だといって憚らない。

 法務省が今回明確化した指示内容は「朝鮮籍」在日朝鮮人の再入国許可に対し「厳格審査」を行うために、許可の即日交付は不可能、そして数次再入国許可が認められない場合が生じるというものであるという。しかし、実際地方入管局では許可申請に対し、法務省が命じていないという旅行社による旅行計画書と航空券の写しなどの提出が求められ、旅券有効期限内の全計画を示してはじめて一回限りの再入国許可を出すという対応に移行している。法務省による指示内容自体が朝鮮籍者の海外渡航に対する露骨な制限措置であり、実際行われている措置においてはすべての朝鮮籍者による海外渡航を法務省が詳細に把握し、再入国許可の是非によって管理する体制が整えられたと言える。

日本の入管法に定める制度は事前に再入国の許可を得て出国した者に限って、在留資格を失うことなく再び日本に入国することを認める。これが法務大臣による再入国許可である。通達の以前であれば、特別永住資格者が再入国許可申請する際に一回分の旅行計画だけ示せば、旅券の有効期限内に何度でも日本に再入国できる数次再入国許可(「マルチ」)が与えられた。これに対して通達以後は渡航先、渡航目的や日程を詳細に説明すると一回限りの許可(「シングル」)が出される対応になった。

在日朝鮮人の大多数は戦後1952年のサンフランシスコ講和条約の締結に合わせて一方的に日本国籍を喪失したものとされて以降、国籍欄が「朝鮮」表示となった。この「朝鮮籍」者に最初の再入国許可が降りたのは、政府が千人余の申請者のうち3名に対し共和国向けの再入国許可を与えた1965年である。その後徐々に訴訟などを通じ「祖国訪問」のための再入国許可を求める動きが進み、同時に72年にはじまり他の国向けの再入国許可も降り出した。そして91年の「入管特例法」により在日朝鮮人の在留資格が「特別永住」に一本化された際、はじめて在日朝鮮人は渡航先、渡航目的に関わらず再入国許可(原則数次許可)を得るようになった。戦後から現在まで、日本政府の再入国許可なしに出国した場合は在留資格を失うという再入国許可制度の枠組みは変わっていない。在日朝鮮人の「祖国」往来、親戚訪問を含むあらゆる渡航が、法務省によって再び日本の居住地に戻ってくることへの許可を得なくてはならないのである。このような再入国許可制度自体が在日朝鮮人がなぜ日本に居住しているのかという朝鮮植民地支配の過去への自らの関与を日本政府が否定し、在日朝鮮人に対して行ってきた抑圧・同化の一端である。

そして今回さらにこの再入国許可制を用いて「朝鮮」籍者の渡航を管理あるいは規制する法的措置を日本政府がミサイル・核問題を受けて矢つぎ早に行っていった対共和国制裁

の一環としてこのような措置が強行されまかり通っている点に注目しなくてはならない。共和国指導下の組織として結成された朝鮮総連は共和国からの資金援助による民族教育や、共和国「帰国」事業をはじめ、民族団体として在日朝鮮人の生活に大きく関与し深い影響力を及ばしてきた。これは民団にも言え、在日朝鮮人の日本での生活は朝鮮半島の分断状況に深く影響されてきた。「朝日平常宣言」の2002年まで共和国との国交回復が何ら進展してこなかったことにも顕著であるが、朝鮮半島の分断国家状況を利用し植民地支配責任を隠蔽していったのが1965年韓日条約はじめ日本政府の戦後処理であり、そこからまた在日朝鮮人は深く規定されてきた。このような日本政府の動きの結果、植民地支配の歴史性も在日朝鮮人の国籍の歴史性が顧みられてこなかったうえに、昨今の拉致問題、ミサイル・核問題などで「北朝鮮」敵視の政策や世論が存在する。この「北朝鮮」敵視によって、在日朝鮮人に対する露骨な抑圧措置が実現される事態にある。

 現在の日本で共和国との結びつきを理由とされ弾圧が正当化されているのは「朝鮮籍」者の他に朝鮮学校である。2003年より土地明け渡し訴訟によって校庭など都有地の明け渡しと4億円余の土地使用料金の支払いを求められている枝川朝鮮学校(東京朝鮮第二初級)の件においても、争点は都と学校で72年に交わされた土地の無償貸付契約が植民地支配責任に顧みたものであり在日朝鮮人の教育権を守る目的で結ばれたものか、単なる使用貸借なのかという点であり、現在区民や都側が前者の解釈を決してとらないために学校側は廃校の危険に直面している。朝鮮学校は各種扱いで国庫助成はなく、自治体裁量の補助金の重要性は大きい。東京日野市が立川市にある西東京朝鮮第―初中級学校に通う子の保護者に対する補助金の減額を学校側に事前相談なく、今年5月末に電話一本で今年度からの補助金の大幅減額を通告した件からも現在朝鮮学校が行政の措置に翻弄される現状が見える。このように、朝鮮総連を直接の標的とする弾圧はもとより、朝鮮学校や「朝鮮」籍者、また共和国へ物資や親族への送金を行っている人々など、共和国敵視と敵視を背景にした制裁措置は在日朝鮮人の生活に直接・間接に影響を及ぼす。それは実際の共和国との関係がいかなるものかという点以前に、在日朝鮮人の歴史性に対する無理解や歴史性の隠蔽に根ざすものである。

 今回の「朝鮮」籍者の再入国許可制限に顕著なように、共和国敵視を背景として在日朝鮮人をめぐる法的地位や権益、またひいては在日朝鮮人の分断状況は現在揺り動かされており、朝日関係の悪化などからこれらの動きはさらに深刻化することが懸念される。

 

 以上のように在日朝鮮人は数多くの側面で差別的規定や管理にさらされている現状がある。こうした現状の根本的な問題は在日朝鮮人の持つ歴史性が1945年の「解放」後から現在までどのように遇されてきたかに凝縮される。在日朝鮮人の権益、法的地位はこの間、確かに大きく改善してきた。年金制度の国籍条項は撤廃され、また義務教育からの退学など現在ではおそらく通常は行われない。しかしこれらは個々の訴訟など在日朝鮮人自身の訴えや、国連や国際社会で「人権」に対する要請の高まりと外交化という外圧に迫られ余儀なくされた「改善」であり、在日朝鮮人が日本に生活することとなった原因である過去の植民地構造とそこから現在も存在する影響について日本政府・社会が自らの関わりと責任を認めるということには一貫して蓋がされてきた。 

これは在日朝鮮人の外国籍が持つ歴史性が向き合われず、単に「外国人」として遇されることの問題性であると言える。「解放」後、日本による朝鮮植民地支配の歴史への認識と責任を日本政府が免れる流れのなか、在日朝鮮人を単なる定住「外国人」としてのみ日本に居住させるに至ったことは、在日朝鮮人の権益、あるいは法的地位を現在に至るまで規定し続けている。これは在日高齢者の無年金問題に政府の責任を認めない判決や、義務教育の内容と受益に関して在日朝鮮人の現状が放置されてきている事態に見て取れる。再入国制度が在日朝鮮人に当てはめられるという事態も同様である。一方「朝鮮」籍者が対共和国制裁によって露骨な管理の対象とされたことは、朝鮮半島の分断状況をめぐる日本の姿勢が在日朝鮮人の権益、法的地位を深く規定してきたことを示している。在日朝鮮人は自身の歴史性が隠蔽されてきたことに大きな影響をうけ、上記のような各訴訟においても、在日朝鮮人を形成した植民地支配に対する歴史的責任を日本政府が認めない限り、棄却や敗訴が繰り返されてしまうと言える。さらに現在の朝日関係の緊迫は、「外国人」として権利を制限され管理の対象とされてきた現状から、非常に容易により強固な抑圧や排除に晒される事態に至る。

我々韓学同京都は、このように在日朝鮮人の歴史が向き合われないままであるために在日朝鮮人を日常的に抑圧・排除にさらす日本社会の現状が固定され、またはさらに悪化させられる事態に反対していく。

 

 

 

●日本国内情勢

 

教育基本法「改正」の動き

 

2006年11月15日午前に開かれた衆院教育基本法特別委員会の理事会で、与党は同日午後に同法「改正」案の締めくくり総括質疑をしたうえで採決することを提案した。それに対して野党は与党が採決を強行すれば国会の全審議を欠席する方針を固めた。同日午後、衆院教育基本法特別委員会は野党欠席のなかで与党単独で採決した。

 与党の単独採決で教育基本法「改正」案が衆議院を通過した16日、廃案をめざして市民力を結集しようと、第2回目となった「ヒューマン・チェーン(人間の鎖)」国会前集会が5000人の参加を得て行なわれた。全国各地で「改正」案に対する反対運動が広がっているものの、政府は国民の意思を無視し続け、強行採決に踏み切った。

6月16日国会閉会につき継続議題として議論を持ち越された教育基本法「改正」案が、安倍政権が発足した9月26日に審議再開された。11月15日、衆議院本会議において、政府提出の「改正」案について、野党欠席のまま与党単独で採決が行われ、可決された。

臨時国会に持ち越されることとなった「改正」案に関する国会審議は、2006年9月26日から審議が再開された。政府与党は11月上旬に衆院を通過させるとし、今国会の成立を目指すとした。一方、民主、共産、社民、国民新の野党4党は、教育基本法「改正」案成立阻止に向けた国会対応を強化することで合意した。

総裁就任後の安倍首相は記者会見で、教育目標に「愛国心」を盛り込んだ教育基本法「改正」案を臨時国会で最重要法案とし、教育改革を最優先する考えを示した。また、安倍首相は伊吹文部科学省と会い、「民主党案のいいところを含めて話し合うように」と指示し、「まずは、政府で提出している案について議論を進めてまいりたいと思っている」と発言した。

すべての教育法令の根本ともいうべき法律である教育基本法は1947年3月31日に制定され、制定から現在に至るまで一度も「改正」されてはいないものの、制定直後から何度も見直しの必要性が議論されてきた。2000年の小泉元首相の私的諮問機関である「教育改革国会会議」が教育基本法見直しを含めた提言をしたことが教育基本法の見直しの直接のきっかけとなり、与野党内において「改正」についての動きが活発化することとなった。

教育基本法「改正」は、国家による二つの視点からなされている。一つは、教育格差を助長させかねない、学力向上のために「優勝劣敗」の競争原理を持ち込む「能力主義」。もう一つは戦前のような「愛国主義」を復活させることである。いずれも教育を国家統制の下に置くことである。

「愛国心」に関して、政府与党は2006年4月28日に「改正」案を閣議決定し、「愛国心」の表現について「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とすることで合意、前文と18条で構成される「改正」案を国会に提出した。また、「愛国心」について民主党も5月23日に前文で「日本を愛する心を涵養し」と表現した「日本国教育基本法」案を国会に提出した。いずれにしても両法案は「愛国心」を強制したものであり、教職員の思想・信条の自由、子どもたちの内心の自由を奪うもので、結果的に「国民」に「愛国心」を植えつけるものであるといえる。

また、教育基本法「改正」と憲法「改正」においては密接な関係にあるといえる。憲法「改正」案では「国民」に「愛国心」を持たせ国を守ることを義務付け、日本が武力を保持することを可能とし公然と武力行使を行える国とすることが示されている。そして教育基本法「改正」で教育の在り方を根本的に変え、国民をコントロールしていくことが示されており、そういった教育基本法「改正」と憲法「改正」の一連の流れは日本を再び戦争のできる国に仕立てようとする軍国化・右傾化の傾向をうかがわせる。教育基本法の「改正」は、雪崩式に憲法「改正」へとつながる危険性をはらんでいるものである。

 

教育基本法の「改正」作業が加速するなか、与党協議で意見が対立していた「愛国心」醸成について公明党が方針を転換し、「改正」案に盛り込むことを認めた。現在、2002年度から小中学校で導入されている学習指導要領には小学6年生の社会科の目標として「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」という文言が入った。さらに、全国各地で通知表に「愛国心」の項目が盛り込まれるといった動きがみられている。また、6月26日、長崎県佐世保市では市議会総務委員会が、子どもが郷土や国を愛する心を養うことを基本理念にうたった「市子ども条例」案を可決した。同様の条例は全国的にも例がない。指導要領に基づく「愛国心」教育をはじめ習熟度別指導や学校選択制など、教育基本法「改正」に先行して「愛国心教育」が進められている。

 文部科学省では2002年4月より、『心のノート』を全国の小中学校に対し、道徳教育副教材として無料配布している。『心のノート』は侵略戦争や植民地支配の歴史を全て忘却させ、逆に「わが国を愛し、その発展を願う」等、「愛国心」を持たせるために推進されており、学習指導要領どおりの道徳的価値を子どもが内面で実感することを狙いとして作成されている。また、文部科学省は『心のノート』を「道徳教育の充実に資する補助教材である」と位置づけており、その使用を強制するもの、義務付けるようなものではないとしている。しかし、「『心のノート』の配布状況について」という照会の文書を各都道府県・指定都市教育委員会宛に出し、使用しない教師や学校・地域を問題視する等、強制力をもって扱われ、「国定教科書」化しつつある。

 また、東京都教育委員会は7月27日、都立の中高一貫校が使用する教科書を「新しい教科書をつくる会」の主導で編集された扶桑社版にすることを、都内の公立中で初めて決めた。歴史教科書においても、1996年に「つくる会」が発足されて以来、同会が主導し編集した扶桑社をはじめとし他社の教科書においても、過去の植民地支配・侵略戦争の記述が削除・歪曲され、以前にもまして過去史の肯定・美化、歴史を顧みない教育が推し進められている。

 さらに、観光地を中心に広がりをみせる「ご当地検定」が、教育現場でも扱われている。京都や金沢、富山などで、小中学生を対象にした「ジュニア検定」が開始された。2006年5月30日に、門川大作京都市教育委員会教育長は、衆議院教育基本法特別委員会に教育基本法「改正」の立場の参考人として出席し、「『ジュニア日本文化検定』は、郷土を愛し、日本を愛する子どもたちの育成につながっていく」と明言した。また、「日本人であることの誇りを取り戻すことが検定の目的」としている。これは、「愛国心」を強制するものであり、また学校で学ぶ大勢の外国籍の子どもたちの存在が無視されていくことを意味する。こうした取り組みが、公教育の一環として強制力を伴う形で行われている。

1999年に日の丸・君が代が法制化され、教育における「愛国心」への誘導としての日の丸・君が代が強制力をもって推進されている。今年9月29日には、入学式や卒業式で日の丸・君が代の強要は違憲だとする東京地裁の判決に対し、東京都と都教育委員会が判決を不服として東京高裁に控訴した。これに対して石原都知事は「控訴するのは当然である」と都立学校の教職員や生徒に起立や斉唱を指示する方針を見直す考えはないとした。「国民」統合を強化しようとする日の丸・君が代の強制は、戦前の歴史が顧みられないままの国旗・国歌を当たり前に尊重でき、その歴史を忘却した「愛国心」を有することを望ましい「国民」の姿であるとし、教育基本法「改正」の動きなどと連動しながら、「愛国心」を政府や国家への無条件の統合として推し進めようとする動きである。

 

在日朝鮮人は日本による朝鮮植民地支配の所産である。植民地支配下において、朝鮮人は皇民化政策により言葉、名前、文化等の民族性を奪われ、日本の「皇国臣民」として同化を迫られてきた。「教育」もまた、皇民化政策の一環として大いに利用されてきた。今回の教育基本法「改正」の動きは、「国民」ひとりひとりに「日本国民」としての「国を愛する心」を養わせ、国家に忠誠心をもった人間を創出する「教育」であり、「国民像」を設定し、それに向けて個々人を統制し国家に忠誠心を持った人間を創出する軍国化・右傾化の動きに直結していく。この動きは、朝鮮植民地支配の歴史性を全く省みていないものであり、かつての軍国主義に回帰するものである。

また、『心のノート』や日の丸掲揚や君が代斉唱などの教育内容を通じて、「日本国民」としての意識を植え付けさせる「愛国心教育」は、教育基本法「改正」案が可決されたことにより法制化され、ますます「愛国心」を強制させるものである。ひとくくりにできない子どもたちの心を、無理矢理ひとつの枠に押し込もうとし、枠からはみ出す者を排除していく。まさに、「日本国民でない」として生きていこうとする在日朝鮮人は、排除され続けられる存在であるしかない。教育の場において、思想・良心の自由を著しく侵害し、「日本国民」の意識を植え付けさせる「愛国心教育」は、在日朝鮮人が「在日朝鮮人」の立場で自身の出自や歴史性に向き合い自己のアイデンティティを構築していける保障がなされない教育の場を生み出し、それは在日朝鮮人が関わるあらゆる教育現場に影響を及ぼす。

我々韓学同京都は在日朝鮮人という立場から、過去を省みることなく忘却・否認し、日本を再び軍国化・右傾化の流れに推し進める「愛国心教育」、教育基本法「改正」の動きに反対していく。

 

 

 

共謀罪・改憲をめぐる動き

 

20061024日、自民党と民主党は、「共謀罪」の創設を柱とする組織犯罪処罰法改正案の今国会成立を見送る方針を固めた。その理由は、安倍首相が最優先で成立を目指す教育基本法改定案の審議に影響を与えないためであり、「共謀罪」の不当性に鑑みたためではない。つまり、今国会で成立は成されなかったが。次回の国会で再び審議される可能性は大いにありうるということである。

「共謀罪」とはどのような法律なのかについて述べる。「共謀罪」とは、「組織的な犯罪に対する共謀を新設する組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」(犯罪組織処罰法)のことを、指す。この、「共謀罪」の最大の問題点は、「実行行為がない場合でも、犯罪の企図することそのものを刑罰の対象とすることが出来る」という点にある。「犯罪の企図すること」、つまり、犯罪を企画するために相談・議論を行うという行為の判断基準が非常に曖昧であり、「共謀罪」によって、思想・言論の自由が侵害されることは明らかである。また、ともすれば政府の意図によって、どの団体をも罰することが出来る。

そもそも、何故「共謀罪」が審議されるに至ったのかという経緯について述べる。200011月に国際連合総会で採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」が、重大な犯罪の共謀、資金洗浄、司法妨害などを犯罪とすることを締約国に義務づけた。その為、同条約の義務を履行しこれを締結するための法整備を行うことになったとして、自民党は本法を改正して組織的な犯罪の共謀罪を創設することを狙っていた。

そして、20042月20日、第159回国会にて自民党は「共謀罪」を内閣提出法律案として提出する。しかし、あまりに曖昧な内容であるとして、修正を余儀なくされる。2006421、第164回国会法務委員会での審議入りを果たす。同日、与党修正案が提出された。その後、政府案は与党によって再度修正され、 61、与党は、民主党修正案の受け入れを発表した。しかし、62、民主党は次期国会で改正される可能性があるとして、この日の委員会での採決を拒否し、与野党間での協議は決裂し、与党は今国会での法案成立を断念した。 616、与党は法務委員会で法案を継続審議とすることを議決し、与党第三次修正案について議事録に添付することを議決した。法的には全ての修正案は廃案となった。

 しかし、20069月の選挙で内閣総理大臣となった安倍首相は、この「共謀罪」を、教育基本法改定と並べて、精力的に成立へと推し進めていた。915日には、この「共謀罪」成立への動きを受けて、日本弁護士連合会反発の意を露にした。この日本弁護士連合会の動きや、教育基本法改定の優先などを背景に、「共謀罪」は今国会での成立はなされなかった。しかし、「共謀罪」自体の曖昧さや不当性を考慮しての不成立では無かったため、今後、安倍首相が「共謀罪」成立へ向けての活動を積極的に行う危険性が大いに示唆される。

このように、「共謀罪」の通過を押し進めるものとして、政府の動きが大きく影響していると言える。政府の動きとはすなわち、改憲への活発な動きのことである。2006616日、衆院憲法調査特別委員会は憲法改定の具体的な手続きを定める国民投票法案の継続審議を決定した。 823日には、安倍現首相が、9月に行われた自民党総裁選で憲法の全面改定と教育改革を政権公約の柱に掲げる方針を決めた。926日には、安倍晋三内閣が発足した。この政府は、「美しい国、日本」をスローガンに掲げているが、実際は、軍国化へ向けて、憲法改定などによって国民の足並みを揃えさせたい政府の思惑が見える。

「共謀罪」は政府によって強行的に成立が推し進められてきている。しかし、「共謀罪」が果たして必要なのか、何故必要なのか、といった論議は殆どなされていない。このように、存在意義すらも曖昧である「共謀罪」の成立を強行する政府の姿勢は、1925年に制定され、言論や思想の自由を強制的に奪った「治安維持法」と重なる。また、すでに市民運動や民族運動への風当たりはきつく、政府は何かと理由をつけて、政府にとって都合の悪い団体を排除しようとしている。つまり、政府の意に染まらぬ思想を持つ人間及び団体を、都合よく抹殺したいという意思の下、「共謀罪」制定は推し進められていると考えられる。これは、近年の日本の軍国化による影響であると言える。仮に「共謀罪」が成立すれば、政府に反対する団体に、「共謀罪」を拡張解釈して適用して排除し、政府の意のままになる国民国家を作り上げることが出来る。

そして、これは在日朝鮮人にも大きく影響している。在日朝鮮人は日本の植民地支配によって生まれた存在である。それにも関わらず、「共謀罪」を初めとした法律改定や政府の改憲への動きはつまり、在日朝鮮人の歴史的背景を一切無視した動きであるということである。政府のこのような姿勢によって、在日朝鮮人の歴史性はますます省みられることなく、排除されうる存在となっていくことは明白である。歴史認識や戦後補償などについても、更に隠蔽が進むと思われる。このような社会の中で在日朝鮮人が、在日朝鮮人として生きていくことはますます難しくなる。また、その社会に対して反発の意を示す行動に出ようとしても、先の「共謀罪」などによって、運動の芽は不当に摘み取られる。また、反発の意図なく集ったとしても、それすらも「共謀罪」によって罰せられる可能性もある。更に、在日朝鮮人の歴史性やアイデンティティなどに向き合うことが出来る、在日朝鮮人による民族団体が「共謀罪」によって不当に「犯罪組織」とされることも示唆されている。つまり、現在の政府の動きは、在日朝鮮人として主体的に生きたいと声を発することすらも出来ない日本社会へと着実に進んでいると言える。

以上の認識から我々韓学同京都は、在日朝鮮人の歴史性に目を向けないどころか、在日朝鮮人が集まることさえも排除しうる「共謀罪」の成立や軍国化への流れを煽る改憲に反対し、これからの動きを注視してゆく。

 

共謀罪の制定の動きで最も注視すべき点として、「共謀罪」の意義と必要性そのものの論議さえ曖昧なままに法案の作成と法制化への動きがおしすすめられてきたことがある。修正案の条文が答弁の内容を明確に反映していない点、また過去に違法行為を行った事実のない団体が共謀罪の対象とされる危惧も依然として払拭されていない点など、制定の意義も影響もあえて曖昧にされていると見られる点が依然多い。

与党案や与党による「共謀罪」新設の動きはこのように強行的姿勢が露であり、「共謀」そのこと自体の犯罪化に固執する与党のこうした姿勢の背景には、近年の日本の軍国化の動きが見える。「共謀」が罪に問われるということは、国家あるいは権力を持つ側によって問題視され、都合が悪いとみなされた人々は実際に犯罪行為に及んだかどうかに関らず処罰の対象とされることを意味する。それは容易に実際に刑罰を与えて弾圧に使われるだけでなく、「共謀罪」が存在することで、政府に追従しない団体は常に共謀罪に問われる可能性が生まれ、結果的にその団体に対する抑圧が加えられるなど、「共謀」自体を犯罪化するという動きが持つ弾圧・抑圧的効果の大きさは明らかである。

「共謀罪」が民族団体への弾圧に使用された場合など、在日朝鮮人への影響が懸念される。(特に近年の日本政府の総聯敵視政策の一環として利用される恐れがある。総聯をはじめとする民族団体が「犯罪組織」として日本政府から規定されることは、日本社会が在日朝鮮人にとって生きにくい社会となることを意味する。)

今日、「多様化」する在日朝鮮人にとって民族団体というものは、自己の境遇や歴史性を顧みることを積極的に保障する唯一の機関であるといえる。しかし、「共謀罪」の濫用により民族団体への弾圧が起こった場合、在日朝鮮人は自己の歴史性や境遇を顧みる機会を失うと同時に在日朝鮮人の社会自体の存在も危うくなる。

このような「共謀罪」制定の動きは過去の日本の軍国主義とそのもとで行われた侵略・植民地支配を省みない動きである。

よって韓学同京都は今後の法案の動向を注視しつつ、「共謀罪」の法制化に対して反対していく。

 

 

 

靖国参拝問題

 

 2006年、小泉元首相が日本の終戦記念日である8月15日に靖国神社に参拝した。小泉元首相の参拝はこれで6年連続となった。時期をずらした過去5年の参拝とは異なり、植民地支配の被害国であるアジア各国にとっての独立記念日に靖国を参拝したことで、これまで以上の批判を呼び起こすこととなった。現職首相による終戦記念日の参拝は85年の中曽根康弘元首相以来21年振りである。終戦記念日に参拝するということは日中戦争・太平洋戦争の戦没者を顕彰する意味合いが強く、対外関係に大きな影響を及ぼし、また日本の右翼的な勢力を拡大させることにつながるという懸念がある。

 靖国神社とは戦争にて天皇のために戦死した軍人・軍属を祀るために、1869年につくられた政治的宗教施設「東京招魂社」が1879年に靖国神社と改称されたものである。靖国神社に祀られた戦没者は、国を守って戦争で死んだ栄誉ある「英霊」として祀られている。そして現在では250万人近い人たちが祀られており、その中には東条英機らA級戦犯など侵略戦争を主導したとされる人間、そして朝鮮人軍属など、被植民地国の軍人・軍属も合祀されている。このように、靖国神社は戦没者たちに対する哀悼の意を示す施設であると同時に、戦争責任者をも「英霊」として祀るなど過去の侵略戦争を美化する側面を持ち続け、日本国民の戦争に対する被害者意識を高め、加害者意識を薄れさせてきた大きな要因を担う施設であり続けた。

 2001年の小泉元首相初参拝以来、各地で靖国神社に関する訴訟が起こされてきたが、2004年4月7日に福岡高裁で下された首相の靖国神社参拝違憲判決に続き、2005年9月30日に大阪高裁でも首相の靖国参拝を違憲とする判決が下された。この判決においては日本が行った過去の侵略に対する責任・歴史認識は論点にされず、「首相の靖国参拝は政教分離に反する」という判決内容であった。またその前日の9月29日には東京高裁で「参拝は公的ではない」との判決が下された。「合憲」「違憲」という論点には踏み込まなかったものの、この判決においても日本の侵略責任については言及されなかった。このように過去の裁判では、憲法上の問題としてあくまで政教分離の観点から靖国問題が扱われるだけであり、日本の過去の歴史を振り返るという視点は欠如していた。しかし2006年8月11日、靖国神社に親族が合祀されている遺族9名(日本人8名、台湾人1名)が靖国と国を相手取り、合祀の取り消しを要求する訴訟を大阪地裁に提訴した。これは、初めて靖国を相手取った裁判として注目が集まっており、靖国神社という施設自体が表す日本の歴史認識の問題に対しての動きであるといえる。

 靖国神社の歴史認識に対しては、近年「遊就館」を取り上げて日本の過去の侵略戦争を肯定するものであるとの批判や、その軍国主義の名残に対しての国内外からの非難を受けている。「遊就館」における歴史認識は、「日本が戦争に踏み切ったのは連合国による経済制裁のためである」などのように、過去の侵略戦争を美化・肯定するものである。そのため、韓国などからは参拝や合祀の問題が解決されるだけでは、日本の歴史認識の問題が改善されたことにはならないとされ、「遊就館」に強い関心が集まっている。

 そして今回小泉元首相の参拝が行われたことで、朝鮮半島、中国を始めとするアジア諸国から「日本の軍国主義の再来を懸念する」「戦争責任を曖昧化している」などの猛烈な抗議が相次いだ。そして、アジアだけではなくアメリカの議会において「日本の首相は靖国参拝という慣習をやめるべきである」という旨の声明が出されるなど、世界からの批判も寄せられている。今や首相の靖国参拝は個人の自由という問題に留まらず、首相ひいては日本という国家全体の歴史認識を表す象徴的行為としての重要性が高まっている。

 そのような流れを受け、9月に発足した安倍内閣においては「(靖国参拝を)するかしないか、したかしないか、あるいはいつ行くか行かないか、明言しない」という方針が掲げられている。しかし、安倍氏が今年4月に靖国神社を参拝していたことが発覚しており、小泉路線を受け継いでいることからも安倍内閣においても過去の侵略についての反省の見られないまま靖国参拝が続く恐れがある。

 朝鮮半島が日本による植民地支配から解放されて今年で約60年が経つ。しかし靖国問題に顕著に現れているように、日本においては戦争における加害者意識を被害者意識が覆い隠している現状にあり、歴史は美化され過去は忘却されようとしている。そしてそのような日本国民の思想に大きな影響を及ぼし続けてきたのが靖国神社である。戦争によって亡くなった人々追悼する行為それ自体は非難されるものではない。だが、戦争責任者が合祀されていることをはじめとて、靖国神社の歴史認識に大きな問題がある以上、靖国神社は過去を忘却・美化する施設として存在し続けているといわざるを得ない。過去を忘却・美化すると言う行為は、植民地支配の所産である在日朝鮮人の歴史性に向き合わないということに他ならない。歴史性を顧みられないことによって、在日朝鮮人が主体的に行きづらい状況が存在するという側面もある。また特に直接支配を受けた在日朝鮮人一世は大きな心的苦痛を受け続けている

 また近年顕著に見られるのが、日本の軍国化・右傾化の動きである。首相による靖国神社の参拝はそのような世論の形成に大きな影響を与える点で注目しなければならない。現に、靖国神社を小泉元首相が初参拝して以来、靖国神社の参拝客は急増しており、これは大きな懸念材料である。小泉元首相のように過去の戦争責任についての認識を欠いた靖国参拝が続けられれば、戦争責任は曖昧化され、軍国化の動きを抑止する世論は後退することが予想される。日本が戦争へと向かっていくことで、共和国や韓国との関係から在日朝鮮人が不当な差別や抑圧を受けたりするなど在日朝鮮人が甚大な不利益を被ることが予想される。また、日本の右傾化によって教育の場などにおいて在日朝鮮人の人権は抑圧され、在日朝鮮人が主体的に生きていくことが困難になるという懸念もある。

 我々韓学同京都は、植民地支配の所産である在日朝鮮人であるという立場から、靖国参拝によって過去の歴史が美化され忘却されることが在日朝鮮人の歴史性を忘却しているという事実に向き合い、日本社会の現状を改善するためにその歴史性を訴え続けていく。そして、日本の軍国化・右傾化の動きに反対していく。

 

 

 

●朝鮮半島情勢

 

韓日・南北関係

 

 200675日、共和国がミサイル発射実験を実施した。これを受けて715日、国連安保理は日本や米国などが提案し日本が草案を提示した共和国のミサイル発射を非難する決議1695を、全会一致で採択した。中国・ロシアが当初、拘束力のない「議長声明」形式を主張していたのに対し草案を提出した日本は強く「制裁決議」とすることを主張していた。また日米は条文に「制裁」の根拠となる「国連憲章第7章に基づく」旨の文言を明記することを強硬に主張したが、中露の反発の結果、結局同文言を削除したうえで、全会一致での可決に至ったのである。共和国外務省は16日、決議受け入れを拒否する声明を出した。同決議は加盟国の任意に基づく制裁行動を可能にしており、決議可決を受けて日本政府が919日、日本政府はメーカーや商社など15企業と1個人を対象に金融制裁を発動した。これに続いて豪州も同日、共和国に対する金融制裁発動を発表するなど、安保理決議に基づいての共和国に対する制裁発動の動きが各国に広がることとなった。

 103日、共和国外務省は「今後、安全性が徹底的に保証された核実験を行うことになる」との声明を出した。これを受けて国連安保理は同日、日米両国の主導の下で、核実験中止を求める議長声明採択も視野に入れた対応協議を始めた。4日には非公式協議で日本が核実験が行われた場合の制裁も示唆する非難声明案を提示した。日米が議長声明を採択することで一致して協議を主導し、他方中露が慎重な姿勢を示すなかで、安保理は6日、共和国を非難する安保理議長声明を全会一致で採択した。

109日、共和国は核実験を実施したと発表した。国連安保理は同日、緊急協議を開き、共和国に対する制裁決議の検討を始め、米国が強制行動を定めた国連憲章第7章に基づく経済制裁を盛り込んだ決議草案を提示した。日本は米案を補完する形でより厳しい制裁を加える追加項目案を示した。制裁決議は、各国の判断をより尊重すること、ならびに禁輸対象となる大量破壊兵器関連品目の定義を狭めることなどの中露による修正のすえ、1014日に全会一致で採択された。本文には強制措置を認める国連憲章7章に基づいて行動することが明記されると同時に、経済制裁など非軍事的措置を定めた同章41条も併記された。

1016日に米国が核実験に伴う放射性物質を確認したことを発表、25日には韓国が放射性物質を確認し、共和国の核実験実施を認定した。日本政府も27日に事実上認定することを発表した。

 そして1031日、共和国が6者協議復帰を発表し、12月にも6者協議が再開される見通しとなった。現在、首脳会談をはじめとした2者、3者単位の各級協議や、APECなどの国際協議を通じて、関係各国が共和国を「核保有国と認めない」という前提のもと、6者協議に向けた連携強化を進めている。

 朝鮮半島を取り巻く情勢がこのように極度の緊張状態に入った現在、朝鮮半島情勢における韓国の動きが、決定的な重要度を帯びる局面を迎えた。

 

〜韓日関係〜

 109日、韓国の盧武鉉大統領と日本の安倍晋三首相は初めて、韓日首脳会談を行い、両首脳は共和国による核実験実施発表について「重大な脅威」との認識で一致した。一方で、盧武鉉大統領が「靖国神社」、「歴史教科書」、「従軍慰安婦」の三つが大きな課題になっていると指摘したのに対して、安倍首相は「未来志向の信頼関係を構築したい」と回答した。植民地支配清算をはじめとした歴史問題を筆頭に、韓日間にはいまだ未解決のままの諸問題が残存しているが、共和国による拉致問題、ミサイル発射実験、核実験実施などの朝鮮半島情勢の中で、韓日関係をめぐる情勢もめまぐるしい変動が進んでいる。

 

 盧武鉉政権においては、今年も過去史糾明の取り組みが進められている。今年7月、1973年に起きた金大中氏拉致事件について、韓国政府の真実究明委員会は、当時の中央情報部による組織ぐるみの犯行と断定する報告書をまとめた。同委員会は81日には、1987年の大韓航空機爆破事件に関する中間調査結果を発表、当時の国家安全企画部による自作自演とする謀略説について「根拠がない」とし、共和国工作員による「テロ」と改めて認定した。また818日、日本の植民地統治に協力した「親日反民族行為」を洗い出し、築いた財産を国が没収する盧武鉉大統領直属の財産調査委員会が発足した。さらに、韓国の独立機関「真実・和解のための過去史整理委員会」の宋基寅委員長が来日し、89日、大阪市内で記者会見を開き、軍事政権下で人権侵害を受けた被害者らに被害申告を呼びかけた。

 このような過去史糾明の動きの中、519日、アジア太平洋戦争後BC級戦犯に問われた在日朝鮮人の旧日本軍人・軍属らを、韓国政府が初めて「強制動員の犠牲者」と認定、企業被徴用者と同様に支援対象とする方針を決めた。そして韓日両政府は1111日、アジア太平洋戦争中に大日本帝国によって徴用され、激戦地で亡くなった朝鮮半島出身者慰霊のため、遺族の追悼巡礼を12月中に実施することで合意した。

また、2004年の韓日首脳会談で盧武鉉大統領が日本の小泉首相に積極的な取り組みを要望したことから本格化した、戦時中などに亡くなった朝鮮人の遺骨の調査・返還への取り組みに関連しては、全日本仏教会が6月の理事会・評議員会において外務省や厚生労働省、文化庁の担当者の出席のもと、寺院への遺骨調査を行うことを決めた。そして韓日両政府は87日、遺骨の保管場所の一つである福岡県田川市新町墓地納骨堂で初の合同実地調査を始め、914日には岐阜県高山市西町の本教寺で合同調査を始めた。しかし一方で、日本政府が対共和国制裁措置の中で共和国からの遺族の日本入国を拒むなど、共和国をとりまく緊張の激化にともない、韓日政府よりも民間レベルにおいて活発化が図られてきた遺骨調査の取り組みが、重大な局面を迎えている。

靖国神社をめぐっては89日、来日中の韓国の潘基文外交通商相が首相官邸で安倍官房長官と会談した。小泉首相後継の最有力候補の安倍官房長官が4月に参拝した問題には直接言及せず、小泉首相の靖国神社参拝に関連する韓日間の歴史問題について、「こうした問題を格別に念頭に置いて、役割を果たして頂きたい」と要請した。しかし、小泉首相は815日に靖国神社を参拝した。これに韓国外交通商省は15日午前、報道官名で「かつての日本の軍国主義と侵略の歴史を美化・正当化する靖国神社に再び参拝したことに深い失望と憤怒を表明する」とする抗議声明を発表し、盧武鉉大統領も同日の独立記念式典で「(日本は)実践によって過去のような行いを繰り返す意思がないことを証明しなければならない」と述べ、「独島、歴史教科書、靖国神社参拝、日本軍慰安婦問題の解決へ向けた実質的な措置」を求めた。また、徐柱錫統一外交安保政策首席秘書官は16日、韓国KBSラジオとのインタビューで、日本の次期首相が靖国神社に参拝すれば、中断している韓日首脳会談を引き続き行わない方針を明らかにした。そして926日、小泉政権下で官房長官として首相の靖国神社参拝に関し強硬姿勢をとってきた安倍前官房長官が、日本の新たな首相に選ばれた。

独島の領有権をめぐる問題も、韓日間の緊張を助長するばかりで、特に進展が見られていない。613日に韓日の排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉が、独島問題に関する具体的な前進が無いまま終了し、次回協議が9月に開かれることとなった。韓国の盧武鉉大統領は622日、海洋警察庁幹部らとの会合で、独島をめぐる対応について「相手が挑発した時、『利益より損害が多いな』と思わせる程度の防衛的対応能力を持つことが大事だ」と述べ、独島近海での日本との衝突に備えた抑止力整備の重要性を強調した。一方日本国内では、鳥取県境港市議会が623日、小泉首相と麻生外相、中川農水相に提出するための「竹島の領土権の早期確立に関する意見書」案を全会一致で可決した。73日、韓国の海洋調査船「海洋2000号」が独島周辺を含めた海域での海流調査を開始した。日本の安倍官房長官は同日の記者会見で韓国側に中止を呼びかけ、麻生外相は同日夜、韓国の潘基文外交通商相に電話をかけ、調査の中止または延期を求めた。5日朝、韓国の海洋調査船は独島の西北西約45キロ、日本が主張するEEZ内に入り、同日夜に同海域を離脱した。日本の鹿取外務報道官は談話で、日本政府が見送ってきた海洋調査について「このような事態となった以上、必要に応じ適切な時期に実施する方針だ」と表明した。鳥取県議会は7日、「竹島の領土権早期確立と漁業秩序、安全操業を求める意見書」を全員賛成で採択し、12日には島根県松江市で始まった全国知事会議の席上、澄田信義知事提案の「竹島問題に関する緊急声明」が全会一致で採択された。このような動きに対し、日本側も4月以来見送られてきた独島周辺海域の海洋調査実施へ再び動き出すなど、緊張が激化する一方という情勢下、先述の韓日のEEZ境界画定交渉が94日から、そして6日から韓日の次官級戦略対話が相次いで開かれた。これらの協議は具体的な合意の無いまま終了したが、8日に韓国外交通商省の発表があり、独島周辺海域で日本政府が近く予定している放射能汚染調査を、韓日共同で実施することで基本合意したことが明らかになった。

そして韓日関係情勢でも重要度を増し続けているのが、共和国による拉致問題をめぐる動きである。65日に韓国の情報機関・国家情報院が、野党ハンナラ党の共和国の実情に関する情報公開請求に対して、共和国による韓国人拉致被害者を489人と認定し、うち103人の生存を確認していると回答した。日本の拉致被害者家族会は、米国や国連への働きかけを通して拉致問題追及の世界的な世論醸成を図る一方で、韓国の拉致被害者の家族会らとの連帯を強力に働きかけている。628日、韓国からの拉致被害者であり横田めぐみさんの夫であるとされる金英男さんが、金剛山において「南北離散家族再会事業」の形で家族と再会した。翌日、金英男さんは記者会見を開き、横田めぐみさんが「94年に死亡した」、自身は漂流中に共和国の船に「救助された」などの発言を行った。この会見に対して横田めぐみさんの両親など日本の関係者をはじめとして、日本国内では金英男さんの証言を虚偽であるとして非難する声が高まり、他方、韓国の拉致被害者家族会2団体は金英男さんの証言を虚偽とし、共和国の政治利用と、韓国政府の黙認について指摘した。一方で、韓国世論や政府は再会実現を評価しつつ、英男さんの証言を疑問としながら、「拉致で圧迫しようとする日本は態度を変えねばならない」(ソウル新聞)などの論調も目立っている。112日に、欧州連合(EU)と日本などの35カ国が「拉致問題」を含む共和国の人権状況を非難する決議案を国連総会に提出するなど、拉致問題が世界的な「北朝鮮包囲網」の軸となりつつあり、日本が拉致問題を自国世論における「北朝鮮脅威論」強調に強力に利用する状況の中で、共和国による韓国人・日本人拉致問題に対する韓国政府の姿勢が、現在の韓日関係を大きく決定付けかねないという重大な局面を迎えている。

 

 このように、韓日間には長年にわたって重要度を増し続けている戦後補償、歴史認識などに関する諸問題が存在し、そして近年になって日本の軍国化傾向の深化、および共和国をめぐっての韓日間の「立場の相違」あるいは「協力と連帯」という動きが、今後の韓日関係を決定付ける大きな位置を占めるようになりつつある。

 韓日関係は日本による朝鮮植民地支配、そして「解放」後に東アジアを巻き込んだ冷戦という歴史の中で、常に韓日両政府の政治的利害のみによって処理されてきた経緯をもつ。東西冷戦という構造下における韓米日の癒着の中で、1965年に韓日条約が締結された。この条約において、韓国併合条約に至る一連の条約を「もはや(already)無効である」とし、この曖昧な文言によって、日本の朝鮮植民地支配に対する韓日両国の認識の相違を不問に付すこととなった。そして「独立祝賀金」という名目の経済協力方式でもって韓日間の請求権が「完全かつ最終的に解決」されたこととするという、両国政府の軍事的・政治的な利害関係のみに基づく極めて欺瞞的な方法で、朝鮮植民地支配によって受けた被害に関する対日請求権は放棄された。すなわち韓日条約を以って、日本の植民地支配責任は曖昧化され、朝鮮半島と日本を取り巻く植民地支配構造の根本的な清算と克服という問題は、未解決のまま放置され続けることとなったのである。この結果、韓日は冷戦構造の一翼を担う形で共和国敵視を続け、特に日本は自らの行った植民地支配責任に対する追及を免れ、朝鮮半島情勢の緊張を自ら助長しながら、朝鮮民主主義人民共和国という「脅威」に対して全方位的に圧迫を強めている。そして、盧武鉉政権以来強まった「過去史糾明」という動きに対しても、日本は自らの抱える歴史的・構造的問題性に真摯に向き合うという姿勢を持とうとしないまま、韓日間の諸問題、および朝鮮半島をとりまく諸問題をひたすら外交的利害関係の論理によってのみ処理しようと画策し続けているのである。加えて日本は、そのような歴史を教訓にしようとしない姿勢でもって、近年ますます「北朝鮮脅威論」「テロとの戦い」を煽りながら軍国化を強行しようとしており、自国中心主義的性格が強まることが予想される安倍政権下にあって、韓日間のあらゆる問題が「外交問題」として両国間の緊張激化へとつながる局面を迎えているのである。

 以上のことより、上に挙げた動きから注目しなければならないことは、韓日両政府が朝鮮植民地支配から冷戦を経て現在に至るまでの歴史をいかに認識し、政治的利害のみではなく、いかに包括的な視点から韓日間、朝鮮半島に残存してきた諸問題と、醸成されてきた緊張状態との解決を図るかというものである。

 

 

〜南北関係〜

 2006109日、朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)が核実験実施を発表した。共和国に対して世界的な批判が高まる中、11月上旬には、中断していた6者協議が11月末あるいは12月初めに再開される見通しとなった。共和国をめぐる緊張が激化の一途を辿る中、南北関係の展開がどのような進路を取るか、朝鮮半島の情勢を決定付ける、最も注目されるべき重大な段階に入っている。

 

 621日、共和国のミサイル実験準備の影響で、627日から予定されていた韓国の金大中前大統領の訪北延期が発表された。27日には潘外交通商相が北京で中国の李外相、唐国務委員と相次いで会談し、双方は共和国に対し、協力してミサイル発射回避を働きかけることで一致した。

 75日、共和国のミサイル発射実験実施を受けて韓国政府は、李鍾奭統一相主宰による国家安全保障会議常任委員会を緊急開催し、「韓国国民の感情も悪化させ、否定的な影響を与えかねない」などとする声明を発表、6者協議への即時復帰などを共和国に求めた。一方、大統領府は「圧迫して緊張を醸成するのは問題解決に役に立たず、実効性にも疑問がある」と表明した。79日、李鍾奭統一相と米国のヒル国務次官補が会談し、その席で韓国側は共和国に対する支援を再検討し留保するとの立場を示した。他方で同日、韓国大統領府はホームページでミサイル発射への対応に触れ、「(韓国が)事件を軍備強化の名分に利用することもない」、「強いて日本のように未明から大騒ぎする必要はない」などと言及した。さらに日本の安倍官房長官による「敵基地攻撃」研究の必要性への言及が先制攻撃の可能性示唆であるとして米国などにも波紋を広げる中、鄭泰浩韓国大統領報道官は11日、「日本の侵略主義的性向を表したもので、深く警戒せざるを得ない」と批判し、「朝鮮半島の危機を増幅させ、軍事大国化の名分にしようとする日本の政治指導者の傲慢には強力に対応する」と強い反発を示した。他にも額賀防衛庁長官など日本政府内で「敵基地攻撃」発言が相次いだのに対し、盧武鉉韓国大統領をはじめ与党などから日本への批判が強まることとなった。712日、潘基文外交通商相は国連安保理の共和国制裁決議案に関し、「中長期的に朝鮮半島や北東アジア情勢に否定的影響を及ぼす恐れ」があると述べ、反対の意向を表明した。このことなどからみられるように、韓国政府は食糧支援中断など一定の圧力を示しながらも、南北閣僚級会談を711日から予定通り開催すると表明するなど、対話を維持する基本方針は変えていない。715日に共和国に対する国連安保理の非難決議が国連憲章第7章について明記せずに採択されたことを受け、韓国政府は16日、外交通商省の報道官名で、「決議を支持し、安保理のこれまでの努力を評価する」との声明を発表した。

南北閣僚級会談は711日から予定通り開かれ、韓国首席代表の李鍾奭統一相は基調演説で共和国のミサイル発射に強く抗議し、再発射の中止を求めると同時に6者協議への早期復帰を促した。対して共和国は韓米軍事演習を批判し、ミサイル発射の正当性を主張した。そして713日、会談は韓国による食糧支援をめぐって対立し、14日までの予定を打ち切って決裂した。その後、共和国の張在彦朝鮮赤十字会委員長は19日、韓国の韓完相大韓赤十字社総裁に書簡を送り、南北離散家族再会事業の中止を通告、815日前後に予定されていた再会事業の取り消しや金剛山への面会所建設の中止を宣言した。しかし、7月中旬に入って共和国各地で豪雨被害が相次ぎ、815日前後に平壌で開催が予定されていた南北共同行事「民族大祝典」を、洪水被害のため中止すると韓国側に伝えた。そして南北共同宣言実践委員会の共和国側委員会は9日、韓国側委員会にFAXを送り、集中豪雨被害の復旧作業のための建設資材や食糧、毛布、医薬品などの支援を要請した。韓国政府は7月に共和国のミサイル発射実験を受けて対北支援を中断していたが、韓国統一省は11日、共和国の支援要請に対して100億ウォン相当の支援を行うと発表した。

 914日、韓米首脳会談があり、強固な同盟関係を強調し、6者協議の早期再開へ向けて協力を確認したが、盧武鉉大統領が米国の追加制裁には反対する考えを示すなど、共和国への制裁や韓国軍の戦時統帥権移管の問題などに関してすれ違いが現れている。

 102日には南北軍事実務会談が、約5か月ぶりに板門店で開かれたが、成果はなく、次回の日程も決められないまま終了した。今年5月に南北縦断鉄道の試験運行が中止になって以来、南北は軍事的に緊張が高まり続けて、731日には南北軍事境界線に沿った非武装地帯内で小規模な銃撃戦が発生、81日には共和国の祖国平和統一委員会スポークスマンが韓国が728日に打ち上げた多目的人工衛星「アリラン2号」について、「地域情勢を刺激する重大な挑発だ」と非難したほか、8月には韓国公安当局者の話として、盧武鉉政権下では初めて韓国に入国しようとした共和国の工作員が、先週末までに国家情報院により逮捕、送検されていたことが分かっていた。今回の南北軍事会談は、共和国のミサイル、核開発をとりまく情勢下において、南北関係の緊張状況を改めて示すことになったといえる。

 そして103日に共和国が声明で核実験実施を予告したのを受けては、「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言を完全に破棄しようとするものだ」と非難し、「深刻な憂慮と遺憾の意」を表す政府声明を発表したうえで、核実験計画を即刻中止し、核問題を巡る6者協議に無条件で即時復帰することを求めた。また、核実験実施阻止にむけて共和国に働きかけると同時に、米国をはじめ中国や日本などと協議を重ね、緊密な連携を図っていた。

 そのような中で、109日の共和国による核実験実施発表に至ったのである。これを受けて韓国の柳明桓第1外交通商次官は10日、米国が中心になって進めている大量破壊兵器拡散阻止構想(PSI)への参加について「部分的にケース・バイ・ケースでやっていく」と述べ、これまでオブザーバー資格での参加さえも拒否していたPSIに参加する意向を初めて明らかにした。一方、韓国国内では最大野党ハンナラ党による盧武鉉政権への批判が激化し、9日には「政府の安易な現実認識と無能な対応が事態の悪化を招いた」と指弾、盧武鉉大統領が国民に謝罪し、内閣を総辞職させた上で非常事態の安保内閣を組閣するよう要求した。また10日には姜在渉代表らが盧武鉉大統領と会談し、統一・安保政策関連の閣僚の退陣と金剛山観光、開城工業団地開発事業の中断などを要求した。このように共和国の核実験実施により、内外から対北融和政策放棄を要求する圧力が強まり、盧武鉉政権は部分的な政策見直しを余儀なくされることとなった。11日、韓明淑首相は国会本会議での質疑応答で、国連安保理で論議されている共和国制裁決議案に金融制裁が含まれた場合は履行するとの考えを明らかにすると同時に、「軍事制裁には参加しない」と述べた。続いて韓国国会は12日、核実験を糾弾し、核開発計画の撤廃、核拡散防止条約(NPT)体制への復帰、核問題をめぐる6者協議への参加を要求する決議を賛成多数で採択した。そして1014日に国連で採択された共和国に対する制裁決議を、韓国は最終的に共同提案国に加わるという形で支持することとなった。

 制裁決議採択後も、盧武鉉政権の対北融和政策に対する国内外の圧力は強まり続けている。米国のライス国務長官は1017日から22日にかけての東アジア歴訪を終え、米国務省は共和国に対する経済制裁実施に最も慎重な姿勢を示したのは韓国だったと評価した。米国は韓国に対して、金剛山観光事業および開城工業団地事業の中止を迫っている。このような内外からの圧力の中、1024日に李鍾奭統一相が盧武鉉大統領に辞意を伝えたことを明らかにした。潘基文外交通商相が国連事務総長就任内定、尹光雄国防相の辞任に続き、対北政策を担ってきた閣僚が一新されることとなった。7月の韓国国会補欠選挙で与党が惨敗するなど一連の選挙で与党が敗北を続けている流れに加えて、共和国によるミサイル実験、核実験という一連の流れの中、盧武鉉政権の対北融和政策は重大な選択を迫られているのである。

 1031日に6者協議再開が同意されたことに対し、韓国政府は歓迎を表明し、統一省は1日、共和国のミサイル発射以降停止してきたコメと肥料の支援再開問題について、「協議再開など状況を見ながら検討していく」との方針を明らかにした。そして同日、盧武鉉大統領は外交・安保関連の4閣僚を交代させる内閣改造を実行し、統一相に李在禎前国会議員、外交通商相に宋旻淳青瓦台統一外交安保政策室長を起用した。これは融和政策の続行表明とみられる人事である。そして6日には、盧武鉉大統領が南北経済協力事業として実施されている金剛山観光と開城工業団地開発について、今後も継続する方針を明らかにした。国内外から政策転換を強く迫られた盧武鉉政権であったが、共和国の6者協議復帰

を受けて政策維持の方針を強く表明し、国連決議を慎重に尊重しながら対話路線と経済支援を継続していくものと考えられる。

 南北関係を取り巻いては、上記のほかに821日、今年も韓米合同軍事演習「乙支フォーカスレンズ」が実施され、1019日には南北の軍事境界線に近い韓国北西部の江華島で韓米合同上陸訓練が行われるなど、韓米間の軍事的癒着は解消の兆しがなく、共和国をとりまく情勢次第では今後いかようにでも露骨化・巧妙化しうる状況が見られる。

 

 以上のように、7月の共和国によるミサイル発射実験以来、世界的な共和国包囲網が形成される中で、韓国政府のとる方向性から朝鮮半島の南北両政府の関係がどのように進展するか、事態は決定的な重要性を帯びた段階に突入している。

 朝鮮半島は、1945815日に日本による植民地支配から「解放」された直後から、米ソを中心とした東西冷戦に巻き込まれ、南北に分断されることとなった。そして朝鮮半島の北緯38度線を挟んで、韓米日の資本主義陣営と朝ソ中の社会主義陣営が激しく対立することとなった。南北が強烈に対立しあう状態は、日本に対する植民地支配責任の追及を曖昧にし、その結果日本は自らの責任を回避し続けてきた。さらに東側社会主義陣営が崩壊して以後、韓米日は共和国に対する包囲網を形成し、「北朝鮮脅威論」を煽って共和国を国際的に孤立させてきた。結果、共和国は「瀬戸際外交」を展開し、国内の独裁体制を強化、原子力発電のみならず核兵器をも含めた核開発に着手し、それらの動きがますます「北朝鮮脅威論」を助長するという悪循環の中で、今回のミサイル実験、核実験の実施に至ったといえる。2000年の南北首脳会談に伴う6.15共同宣言以来、南北間の対立状態は少しずつ緩和を始めており、近年民間レベルの人的・物的交流が拡大を続けてきた。しかし、米国のブッシュ共和党政権の主導のもとで、世界的な共和国包囲網が強力化の一途を辿っている。同時に、日本政府はそのような米国への追随の道を選び続け、戦後一貫して共和国を敵国と想定した「北朝鮮脅威論」を煽り続けることで、過去の植民地支配を反省することなく右傾化・軍国化の動きを正当化しながら強引に推進してきた。そして近年に至っては、拉致問題を国際的な連帯につなげようと図るなどして日本政府自ら率先して国内外の世論を大々的に煽動し、盛り上がる共和国非難の声、ひいては盛り上がる共和国敵視の感情を、巧妙に日本の軍国化へと利用しているのである。

 すなわち、南北関係をめぐる情勢について注目しなければならない点は、朝鮮半島の辿ってきた歴史的経緯を顧みることもないままに、共和国を取り巻く日米はじめ各国が、自国を軍国主義的路線へと推し進めていく口実として朝鮮半島の緊張状態を助長し続け、利用し続けている状況にあって、再開される見通しとなった6者協議などを通じて当事者である南北両政府がいかに主体性と自主性をもって分断構造の包括的な克服を図るか、ということである。

 

 

〜韓日関係・南北関係についてのまとめ〜

 

 ここまで見てきたように、7月のミサイル実験、10月の核実験、そして6者協議再開の合意など、共和国を取り巻いての状況は過去に類を見ないほどの緊迫した局面を迎えることとなった。現在、米国などが主導する世界的な「対テロ戦線」という流れの中で、全世界的に国家間の利害における弱肉強食の論理が強調され、圧迫と緊張が様々な場面で醸成される状況にある。そのような中で、日米が主導する共和国包囲網が強固に形成されつつあり、朝鮮半島を取り巻く諸問題の中で共和国への圧力や自国の軍国化に貢献しない事柄は徹底的に隠蔽・抹殺されようとする動きが強まっている。そしてそれは韓日関係においては、日本の朝鮮植民地支配の歴史に向き合おうとする各種の動きが単なる「外交的衝突」にすぎないものとして貶められて圧殺されることにつながると同時に、朝鮮半島が翻弄されてきた歴史を全く顧みることなく推し進められる共和国への圧迫、南北分断の固定化に直結している。またそれは南北関係においては、韓米日の癒着構造の克服が成せない韓国政府に対して国内外から、対北融和政策を放棄して以前のような強硬政策への転換を迫る圧力が強まっており、韓国政府の対北方針如何で、朝鮮半島の二つの政府に対する国際社会の姿勢が強く決定付けられうる状況にあることを意味している。

 在日朝鮮人は日本による朝鮮植民地支配の所産である。在日朝鮮人は植民地支配の旧宗主国である日本に居住することを余儀なくされ、植民地支配と侵略戦争の歴史を抹消し、ひいては新たな軍国化への道を邁進しようとする日本政府によって、在日朝鮮人は自らの帯びる歴史性を抹殺されようとし続けている。また在日朝鮮人は、朝鮮半島の南北対立の中で南北両政府がこのような日本政府の姿勢を満足に追及しない状況の中で、在日朝鮮人としての自らの歴史性を自覚することもままならず、むしろ本国の分断構造と日本政府の同化・排除・抑圧政策の影響を受けて、在日朝鮮人内部の分断状況、分裂状況、敵対状況に陥ることとなった。さらに近年、在日朝鮮人は、これまでの歴史的背景を知る機会も与えられないまま日本国内に蔓延する「北朝鮮脅威論」の影響を受けて、自らの帯びる朝鮮植民地支配という歴史性を、自ら抹殺することにつながりかねない状況に置かれている。

 このように朝鮮半島情勢や日本政府の姿勢によって自らの立場や生き方を強烈に規定付けられる在日朝鮮人にとって、ここまで見てきた朝鮮半島情勢によって今後、生活していく極めて具体的なレベルにおいてさえも、常に自らのとるべき態度を強力に迫られる圧力にさらされていくことになる。つまり、朝鮮籍の者ならば自らが「いかに北朝鮮反対派であるか」、日本籍の者ならば自らが「いかに日本に忠実であるか」、そして韓国籍の者は韓国政府の立場の取り方によって、あるいは自らが「いかに『朝鮮』ではなく、『韓国』であるか」、またあるいは逆に自らが「いかに韓国と無関係であるか」などということを態度に表すよう強力に迫られ、さもなくば日本社会の中で激しい抑圧に晒される、などの状況があらゆる在日朝鮮人一人ひとりについて容易に起こりうるのである。言うまでもなく、このような状況は在日朝鮮人社会内部の分裂と葛藤を決定的に深めることにつながり、自らの歴史性・政治性に向き合った上での在日朝鮮人としての主体的な生を阻害する重大な障害となる。在日朝鮮人が真に主体的に生きるためには、在日朝鮮人社会の分裂状況を克服し、分裂を迫るあらゆる圧力の克服を志向しなければならない。

我々韓学同京都は、日米をはじめとした共和国に対する圧力を強め続ける姿勢に断固反対し、韓国政府をはじめ各国に、朝鮮半島の歴史性に向き合ったうえでの真摯な対応を断固要求する。そして我々韓学同京都は、在日朝鮮人の主体的な生を阻害することにつながるあらゆる抑圧構造に断固反対し、在日朝鮮人の生に還元されるための朝鮮植民地支配の克服、朝鮮半島の統一実現を志向して、関係各国の誠実な対応を断固要求する。

 

 

 

朝日関係

 

2006年10月13日、閣議において共和国による核実験に対する日本政府独自の追加制裁として「日本の安全保障に対する脅威が倍加したものと認識される」との判断のもと、拉致問題を含めて「情勢を総合的に勘案して」決定された。1)共和国からの全品目の輸入禁止、2)共和国船舶の全面入港禁止、3)共和国籍者の原則入国禁止、の3点を決定した。塩崎官房長官は「今回の北朝鮮による行動で、安保上、最も影響を受けるのは日本。総合的に判断し、このタイミングで措置を決断した」と述べた。制裁期間はそれぞれ半年間とされ、輸入、入港の禁止は翌日午前0時に発動された。

そして10月14日には国連安全保障理事会が共和国核実験宣言にともなう共和国への制裁決議を全会一致で採択した。国連憲章7章41条に基づくもので、軍事的制裁を除く外交的、経済的制裁を加えることを骨子とする。決議は、大量破壊兵器及び弾道ミサイルプログラムと関連した共和国官僚の移動を禁止し、戦車や戦闘機、ミサイルなどの共和国との取引禁止などを加盟国に求めている。また、共和国による非合法な取引を防ぐため、共和国に出入りする貨物の検査を行うことや、共和国の核や弾道ミサイルプログラムを支援する資金と金融資産などを凍結する。その上で、共和国に無条件での6者協議復帰と昨年9月に採択された6カ国協議での共同声明を履行することを求めた。そして、この国連安保理の制裁決議に基づき日本では、11月14日の閣議では、牛肉や乗用車などの「ぜいたく品」33品目について、共和国への輸出禁止を決めた。外国為替及び外国貿易法(外為法)に基づく輸出貿易管理令を「改正」し、15日から発動する。

これらに至る経緯として、今年7月5日に共和国は中長距離ミサイルを計6発を東海(日本海)上に相次いで発射した。共和国政府は、翌日「朝鮮半島の非核化を平和的に目指す意思は変わらない」「自衛的抑止力強化の一環としてミサイル発射訓練」と声明を出した。

この共和国のミサイル発射をうけて、その前後から米国内で議論されていた共和国への先制攻撃論について、麻生外相(当時)は「(核が)ミサイルにくっついて日本に向けられているのであれば、被害を受けるまで何もしないわけにいかない」と発言するなど今後議論の余地があることを示唆した。そして、日本政府は即日、閣議でこの日新潟港に入港する予定だった万景峰'92に対して特定船舶入港禁止法を発動して半年間の入港禁止を決定した。さらに共和国当局職員の入国の原則禁止、国家公務員の渡航の原則見合せ、共和国への渡航自粛要請、航空チャーター便の受け入れ禁止など、単独制裁措置を決定した。同日午後、町村前外相は「『対話と圧力』でやってきたが、いよいよ圧力の出番だ」と述べた。7日には、「国連憲章」第七章の「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」に基づいて、日米英仏など七カ国による共和国のミサイル発射を非難し、共和国へのミサイル・核関連技術移転防止、共和国からのミサイル関連技術の導入禁止を義務づける国連安保理の制裁決議案が日本主導のもとで提出され、7月16日には全会一致で採択された。 

また、日本政府は9月19日閣議で、国連安保理決議に基づき、金融制裁措置を決定し、即日発動した。米国などと連携して制裁効果を高め、6者協議復帰や拉致事件解決を拒否している共和国への圧力を強めるためだ。この追加制裁は外為法を適用し共和国のミサイルや大量破壊兵器開発との関係が疑われる企業、団体、個人が、日本国内の金融機関に設けた口座を洗い出し、兵器開発とは無関係と立証されるまで、預金の引き出しや海外への送金を許可制とすることで事実上凍結するという内容である。米国が制裁対象としている共和国の金融機関など12団体・1個人(「リービー・リスト」)をもとに、日本が独自に収集した情報を加味し、15団体・1個人を制裁対象に決めた。10月25日時点で措置対象団体のうち預金口座3件の凍結が発表されている。

 

これら日本の単独制裁措置や、米国を中心とした世界各国からの制裁・監視下で共和国は10月4日に核実験を行うという声明を発表し、9日には核実験を実施した。これ以後、冒頭の単独制裁の決定以外にも、日本国内では先制攻撃論・日本の核保有・集団的自衛権・「周辺事態」認定に関する議論が巻き起こり、日米同盟の強化や共同訓練など、共和国のミサイル発射・核実験実施、さらには拉致問題が複雑に絡み合い、日本の右傾化・軍国化が一層加速化する事態となっている。

 政府は10月12日、国連安保理での制裁決議採択後、周辺事態法に基づく周辺事態と認定する方向で検討に入った。周辺事態とは日本の周辺地域で、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態とされており、あからさまに共和国を意識した法律であるといえる。この周辺事態における自衛隊の出動が現時点の日本政府見解では、憲法違反となる集団的自衛権の行使に抵触する可能性があるとされているため、認定にまでは至っていない。しかし11月18日に明らかになった民主党基本政策の安全保障分野の原案では、焦点の集団的自衛権の行使について「我が国が直接、急迫不正の侵害を受けた場合には、個別的、集団的という概念の議論に拘泥せず、憲法にのっとって自衛権を行使する」と明記された。そのようななか、安倍首相は「憲法解釈の中で、MD(ミサイル防衛)との関係についても研究していく必要があるかもしれない。何が憲法で禁じられている集団的自衛権の行使にあたるか研究する必要がある」と語り、同盟国の米国に向かった弾道ミサイルを日本のMDで迎撃することが集団的自衛権の行使に該当するかなど、集団的自衛権行使の「個別的な具体例」研究の必要性を改めて強調した。実際にこれらを意識した海上自衛隊と米海軍が毎年実施する共同訓練が11月に実施されていた。「テロリスト」がコンテナ船を使って境港から密入国を計画しているとの想定で11月1日、境海上保安部、鳥取、島根両県警、神戸税関境税関支署、広島入国管理局境港出張所などの約70人が参加した「テロ対策合同訓練」が境港市の岸壁で行われた。このように日本の軍国化といえる動きは官民問わず全国的にみられる現状にある。

1025日には麻生外相が「どうして(核を)持たないことになったのか議論することを含め、論議することまで止めるのは言論封殺といわれる。北朝鮮の核保有を前提にすれば、極東アジアの状況は一変した。そういう国が隣に出てきて日本は今のままでいいのか」と語った。中川政調会長も同様の発言を繰り返しており、これらの発言に対する与野党内からの批判に対して安倍首相は非核三原則とNPT(核拡散防止条約)を堅持する政府方針を強調しながらも発言自体は容認している。

11月18日、APEC (アジア太平洋経済協力会議)首脳会議出席のため、ベトナムを訪問中の安倍首相は、米国のブッシュ大統領と就任後初の首脳会談を行い、自由や民主主義など普遍的な価値観に基づく日米同盟をさらに強化することで一致した。会談では、日米同盟の強化を確認するとともに、日米間のMD(ミサイル防衛)システムをさらに強化・加速化するため、外務・防衛の担当閣僚間で具体的な検討に入ることで一致し、駐日米軍再編の着実な実施も確認した。焦点となる共和国の核問題では、共和国の核保有を断じて容認せず、非核化に向けた具体的な結論を早期に出すべきだとの認識で一致した。また、ブッシュ米大統領は、拉致問題が解決されない限り経済制裁をやめないという日本の立場を大いに支持した。現在、共和国の核問題をめぐる6者協議を12月に再開しようと、それにむけて国連の対共和国制裁決議の「誠実な履行」や、拉致問題を非難する国連決議案に賛成する方針を、韓米日を中心とする関係各国間で確認しあう状況にある。

一方、共和国の朝鮮中央放送は11月4日、6者協議の再開についてとし、日本の協議参加は必要ないとする立場を表明したうえで、「『核保有国という前提の下では、北朝鮮を6者協議に受け入れる考えはない』との立場で日本が身分不相応に行動している」と非難した。また、共和国の崔泰福最高人民会議議長は「われわれに対する米国の核脅威と制裁が検証可能かつ信頼できる方法で終息すれば、われわれにはただ一つの核兵器も要らなくなる」と11月17日に発言しており、共和国政府としても日本の独自制裁措置や米国追従姿勢に対して「宣戦布告とみなす」など批判の声明を表明している。

 

9月の新内閣発足後、安倍首相は拉致問題担当の中山恭子元内閣官房参与を首相補佐官5名のうちの1人に任命した。「官邸全体で拉致問題に取り組む姿勢」を明らかにした。政府は1016日、首相官邸で、共和国による日本人拉致問題の解決や拉致被害者家族の支援に取り組む拉致問題対策本部(本部長安倍晋三、全閣僚がメンバー)の初会合を開いた。国連安保理の制裁決議を受け、共和国側の対応次第で追加制裁を検討し、拉致の疑いが指摘される特定失踪者の真相究明に積極的に取り組む方針を盛り込んだ今後の対応を決定した。

また、1031日、訪米中の拉致被害者の「家族会」と支援組織「救う会」が、対共和国強硬路線をとるボルトン米国連大使と面会した。ボルトン大使は「ブッシュ大統領はあなた方の味方だ。これからもどんどん具体的な取り組みをしていく。何でも日本政府に相談すれば、それはすぐにわれわれに伝わる」と、拉致問題解決へのさらなる取り組みと日米連携を約束した。家族会側は、安保理での再制裁決議の理由に「北朝鮮による外国人拉致」を含めるよう要請した。この後、国家機関による拉致行為の防止などをうたった「すべての人を強制的失踪(しっそう)から保護するための条約(強制的失踪防止条約)」案が1113日、国連総会第3委員会で満場一致で採択された。年内に国連総会で採択され、成立する見通しである。これが成立すれば国家機関が個人を秘密裏に拘束することを防止する初の条約となる。
 国内では、11月8日に菅義偉総務相が放送法に基づき、NHK短波ラジオ国際放送の運営費の一部に政府交付金が拠出されているとことから、同ラジオ放送内で共和国による拉致問題を重点的に扱うよう「命令」という形で電波監理審議会に諮問した。「拉致問題に対する政府の熱意を理解する」として、報道・放送の自由を侵す恐れがあるという観点から批判も相次ぐなか、電波監理審議会は事実上容認した。

これらの動きからもわかるように、共和国による拉致問題の情勢も日々変化している。麻生外相は11月16日、米国のライス国務長官と会談し、共和国の核問題をめぐる6者協議に関連し、「核・ミサイル問題が動き出して6カ国協議が進展しても、拉致問題が解決に動き出さないと北朝鮮を支援することは難しい」と発言した。拉致問題が発覚して以降日本は拉致問題の解決がない限り共和国とまともに会談をもつこともなく、朝日間での対話を不可能とする姿勢を一貫してとり続けている。そのうえ日本国内では拉致問題の加熱した報道によって、国をあげての共和国敵視、「北朝鮮バッシング」が生み出されている。植民地支配期から日本社会に根強く存在する在日朝鮮人に対する偏見・蔑視感が「北朝鮮バッシング」からくる恐怖・憎悪感によって煽られ、在日朝鮮人への影響力も比例して大きくなっていく状況にある。拉致という行為自体は肯定される余地のないものである。しかし、日本ではその拉致問題を過剰に取り出して、日本国民の「北朝鮮脅威」感情を煽り、日本の右傾化・軍国化策動を盛り上げるための手段として利用されている。改憲などの動きがこれほどスムーズに進むのもこの影響が大きいといえる。なぜ共和国が拉致行為やミサイル・核という手段をもってしか国際社会の中で存在できなくなったのかという点が議論されることはなく、日本の植民地支配構造とは完全に切り離されているのが現状である。

 

共和国のミサイル発射・核実験実施に伴い、共和国をとりまく世界情勢は悪化の一途をたどっており、この情勢に乗じて日米間の癒着は、より一層強固なものとなっている。そもそも朝鮮半島は日本の植民地支配からの解放後、自国の利害追及にひたはしった米ソの冷戦構造に巻き込まれ、朝鮮戦争を経て南北分断に至った。それ以後、韓米の合同軍事演習や日本の米国追従姿勢をはじめとする韓米日の癒着関係は共和国に対して脅威として存在し続け、それが共和国の防衛力強化に大きな影響を与えていることは言うまでもない。そして、韓米日の結びつきは世界情勢を巻き込みながら次第にその強さを増しているといえる。この共和国を取り巻く緊張状態は「北朝鮮包囲網」として、共和国のミサイル・核開発などへ向かわせており、その結果今回のような「挑発的」ともとれるミサイル発射・核実験実施という行動に至ったといえる。このような共和国を取り巻く情勢のなか、日本は米国に追従することで国際的地位と発言力を確立し、米国を介して全世界へと「北朝鮮脅威」を発信する一翼を担っているといえる。

 

在日朝鮮人は日本の植民地支配の結果、日本に定住することを余儀なくされた存在である。日本の敗戦後、朝鮮が植民地から解放されてからも、植民地支配下で日本国籍を一方的に付与されていた在日朝鮮人は、日本国籍を一方的に剥奪され、以後は「帰化」をしない限りは、単なる「外国人」としてみなされる状況にある。そして戦後かわらず、在日朝鮮人は日本国内で差別・抑圧・同化の対象とされ続けている。日本が在日朝鮮人の歴史性を理解し、自国の歴史として真摯に向き合うことは、日本が過去に行った侵略行為を省みる上で最低限の姿勢である。しかし、現在までの朝日国交正常化交渉では植民地支配という論点が議論の根幹には据えられず、植民地支配責任を問う共和国に対して、何よりも拉致問題の解決を迫る日本との間で認識は一致しないまま平行線をたどってきた。そのうえ、今回のミサイル発射・核実験実施によって朝日国交正常化交渉が今後再開される見通しはさらに立たなくなった。2002年の朝日平壌宣言において、日本は植民地支配を経済協力で解決しようとした。1965年の韓日条約のような経済協力方式で過去を清算し、それを「解決」とする日本の姿勢は韓日条約時から一貫してかわらない。それどころか、「北朝鮮バッシング」を政治的手段として利用し、日本は憲法や教育基本法の「改正」などを軸に右傾化・軍国化を押し進めていこうとしている。拉致問題やミサイル・核問題を盾に、自国の朝鮮植民地支配責任に向き合わないままでは朝日関係の改善は不可能といえる。

日本政府の共和国への強硬姿勢が在日朝鮮人に及ぼす影響は甚大である。実際にミサイル発射や核実験後、朝鮮総聯系施設に対する固定資産税の減免措置を廃止するなどの動きが各地方自治体で相次ぎ、神戸朝鮮初中級学校では学校名の書かれた看板が赤く塗りつぶされているのが見つかるなど、あまり報道はされないが朝鮮学校やその生徒、また朝鮮籍の在日朝鮮人があからさまな嫌がらせや暴力の対象とされているのは紛れもない事実である。日本が「対北朝鮮」を理由に武力行使可能な国へとなっていく右傾化・軍国化の動きは、在日朝鮮人が存在する根源的原因を無視した動きである。つまりは在日朝鮮人が自身の出自に向き合うことは許されず、在日朝鮮人の民族教育の機会は否定・弾圧され、在日朝鮮人が真に主体的に生きるための選択肢はどこまでも狭め続けられる状況である。

韓学同京都は、自らが日本の植民地支配の所産である在日朝鮮人という立場をもって、在日朝鮮人が日本で主体的な生を獲得することを阻害する朝日関係の悪化に反対する。そして、経済協力方式のような欺瞞的な「解決」をはかるのではなく、日本の朝鮮植民地支配責任を問える形で在日朝鮮人に還元される国交正常化を強く求めていく。朝日関係が在日朝鮮人に及ぼす影響は甚大であり、またその改善が在日朝鮮人の主体的な生を獲得することにつながると認識し、今後も継続的に日本と共和国をはじめ韓国や米国など朝日関係を取り巻く各国めぐる諸情勢を注視していく。

 

 

 

朝米関係

 

200675日、共和国が中長距離ミサイル計6発を発射し、東海(日本海)上に着弾した。そして共和国は翌日、それらは軍事演習の一環だと表明した。これをうけて米国政府は6日共和国のミサイル発射について「他国を脅迫する挑発行為」であるとし、強く非難する声明を発表した。ライス米国務長官も6者協議参加国の外相と今後の対策について緊急会議を行なった。また、国連は7日、安保理常任理事国会議を緊急召集し、「対北朝鮮決議案」の草案を検討することとした。一方、米国は国連安保理の「対北決議案」に続いて6者協議を、共和国を締め付ける多国間の枠として活用する意図を見せている。共和国が6者協議再開に反対する場合、共和国を除く5者だけで会議を開いて制裁しようという主張も広げている。

717日には国連安保理でミサイル発射を非難する「対北決議案」が全会一致で採択された。ミサイル発射を非難し、ミサイル・大量破壊兵器開発に関連する物資・技術・資金の移転などを阻止するよう加盟国に要求する決議である。当初、日米は経済制裁などを可能にする国連憲章7章を明記した決議案を作成し提出していたが、中国・ロシアが「7章決議」に強く反対、特に中国は拒否権行使も辞さない構えを見せたため、安保理が分裂してしまうことを恐れた英・仏が7章を削除する代わりに「国際平和と安全の維持への安保理の特別の責任」を明記する妥協案を提示し、日米中露がこれを受けいれた。これを受け、朴吉淵国連駐在共和国大使は声明を発表し、安保理が共和国を孤立させようとしていると非難するとともに、圧力を加えようとする「卑劣な政治的目的」のために安保理を誤った方向に誘導しようとしている一部の国の行動を断固糾弾すると宣言し、今後も自衛のための抑止力強化の努力としてミサイル発射試験を続けていくとの考えを明示した。

これらミサイル発射をめぐる動きを受け、共和国に対する強硬な圧力を与える姿勢が見られる。721日には、米国で開かれる米マサチューセッツ工科大学とスタンフォード大学主催によるセミナーに、軍縮平和研究所(IDP)副所長の資格で出席を計画していた共和国の李根外務省米国局長に対し、米国がビザ発給を拒否した。米政府は当初、李局長のビザ申請に対し肯定的な姿勢を見せていたが、共和国のミサイル発射以降に発給拒否が決定されたとみられる。

また、84日、共和国の朝鮮鉱業・産業開発会社(KOMID)と朝鮮富強貿易会社をはじめ、ロシアの2社、インド2社、キューバ1社の合計7社に対し、イランと大量破壊兵器(WMD)やミサイルシステム開発に関する取り引きをした疑いで、728日から制裁を加えていることを米国は明らかにした。しかし、具体的な取り引きのあり方については明らかにされていない。制裁内容として、対象社は米政府機関から技術・物資・サービス購買や購買契約などを全面的に禁じられている。米上院は726日、共和国のミサイル開発とWMD(大量殺傷兵器)開発に関連し技術や物資を取り引きする企業に対し制裁を加えることができる「北朝鮮非拡散法」を可決しており、共和国の2社はこの「WMD非拡散」と関連し、すでに米国の制裁対象企業に含まれていたが、さらに制裁を加えられたこととなった。

 

米国主導の「対北政策」は、国際的にも現在大きな位置をしめており、共和国はますます孤立化を余儀なくされる状況にある。728日には、東南アジア諸国連合(ASEAN)地域安保フォーラム(ARF)(10カ国外相会合)が、マレーシアのクアラルンプールで約1時間開かれた。6者協議で米国側首席代表を務めるヒル国務次官補(東アジア担当)の21日の会見によると、共和国が協議のプロセスに復帰すれば、米国はその枠の中で朝米会談を行う準備をしている、6者協議参加国の代表が全員参加する予定とされており、6者協議内での二者対話開催の意志を重ねて強調したことでARFでの6者協議と朝米会談が実現なるかが注目とされていたが、共和国不参加のままの開催となった。ミサイル発射と国連安全保障理事会の「対北朝鮮決議」採択後初めて公に開かれる多国間外相会議とされる今会合では、共和国の「核・ミサイル問題」に関する協議がなされ、共和国が金融制裁の解除を対話再開の条件と提示する外交を続けていることに対し、米国は追加的な制裁措置へと方針を固めているとしている。また、中国の李肇星外交部長は、共和国の白南淳外相を出席させようと最後まで説得にあたったが、同盟関係にあった中国の提案までも拒否したことから、今後の朝中関係にも影響が予想されるとみられる。

安保理の決議をうけ、日本でも19日に単独制裁として金融制裁が出された。このとき、米国より日本に、共和国のミサイルと大量破壊兵器開発にかかわった疑いのあるとされる団体と個人が載っている「リービー・リスト」が渡されている。

また、922日のIAEA(国際原子力機関)総会にて、ミサイル発射を非難した安保理決議に基づき、共和国に6者協議への無条件・即時復帰や核兵器放棄を求める決議が全会一致で採択された。しかし、共和国側は「根拠ない米国の制裁下で会談出席ありえない」とし6者協議再開を拒否している。

 

「核問題」をめぐっても大きな動きが見られた。104日、共和国外務省がメディアを通じて「朝鮮民主主義人民共和国の科学研究部門では今後、安全性が徹底して保証された核実験を行うことになる」との声明を報道、発表した。これによると、米国の共和国敵視が極限を超えており、最悪の状況をもたらす諸般の情勢の下で共和国側はこれ以上、事態の発展を傍観していられなくなったとしており、また米国の極端な核戦争脅威と制裁圧力策動への防御的対応措置として核実験を行わざるを得なくされている、とも主張した。そして9日には地下核実験に成功したとの声明が発表された。

これをうけ、13日に日本単独制裁が出され、14日には国連安保理にて強制措置を認める国連憲章7章、経済制裁など日軍事措置を定めた同章41条などが併記された制裁決議が全会一致で採択された。さらに19日には共和国に対する制裁決議に基づき設置された国連安保理の「制裁委員会」が活動を開始した。具体的取り組みとして、制裁対象品目のリスト作成や、制裁の履行に関わる情報収集などが動き出した。

また、1117日には「北朝鮮人権決議案」が、国連総会第3分科委員会を通過した。これによって来月の総会で追認形式の採決を行うこととなる。共和国側からは金昌国国連北朝鮮代表部次席大使も出席した。

 

さらに、1119日にベトナムのハノイでアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開催された。「持続的な成長と繁栄のための躍動的なコミュニティに向けて」をテーマとする「ハノイ宣言」が採択され、宣言には盛り込まれなかったものの、ベトナムのグエン・ミン・チェット大統領による口頭での議長声明において共和国による核実験などについて「核兵器のない朝鮮半島実現という共通目標に対する明白な脅威」と指摘、国連安保理決議の完全実施の必要性を強調するとともに、6者協議の早期再開を求めた。

また、会議開催に際して、日米、韓米、中米の首脳による会談もそれぞれ行われ、共和国をめぐる問題について話し合われた。日米同盟関係や中国の存在の重要性、核問題の6者協議を通じた平和的・外交的解決、ミサイル防衛(MD)システムの構築の強化のため日米の外務・防衛担当閣僚の間で具体的な検討を進める方針を確認意見で一致した。また、15日には韓米日3カ国が会談を開き、12月前半の6者協議再開に向け、議長国の中国と調整するとし、再開後の協議で共和国に対し、「すべての核兵器と現存する核開発計画の破棄」を求めた昨年9月の共同声明を履行するよう、一致して求めることも確認した。1031日に行われた朝中米の首席代表による非公式協議で、『「都合がいい近い時期」に6者協議を再開するということで合意、APEC会議開催後に予定』とのことであったが、6者協議再開に向けての動きは着実に見られている。


 そもそも、共和国と米国は核開発問題をめぐった米国の強行的姿勢から、1990年代初頭も激しい敵対関係にあり、米国による韓国との合同軍事演習をはじめとした軍事的威嚇に対し共和国は1993年に核兵器不拡散条約(NPT)を脱退、次いでIAEAを脱退した。冷戦終結宣言、カーター大統領訪朝などにより緊張状態の一時緩和がなされる一方で、国連安保理の対共和国制裁決議が推し進められ朝米関係は悪化する等終始安定しない状態にあった。そして1994年、このような状況の打開のため、朝米間で「枠組み合意」がなされKEDOが成立される。これは共和国の核開発を凍結する代わりに米韓日の援助で軽水炉を建設するというものである。これより朝米関係は進展、南北関係も首脳会談が行われるなどの動きを見せる。そして2000年には朝米間の敵対関係に終止符を打つ、朝米共同コミュニケが発表された。しかし2002年ブッシュ大統領就任を機に、米国は「対テロ政策」のもと、共和国に対し強硬路線をとり、圧力をもっての交渉、2003年より開かれた6者協議の場において共和国を包括し強行的に自国の要求を突きつける状況にある。2004年の第4回協議では、核兵器・核開発の放棄やNPTへの復帰などを示した共同声明が発表された。しかし6者協議は2005年、共和国が核保有宣言を行い、以降朝米双方の主張の相違が主な原因となり開催されておらずこう着状態にあるといえ、以上のような関係性はなんら改善されることのないまま現在へと続いている。そして2006117日投開票の米中間選挙では、民主党が共和党を大きく上回り圧勝した。しかし共和党、民主党にかかわらず米国の「対北朝鮮政策」に対する姿勢は同じであり、政策上の大きな変化はないと見られている。共和国の朝鮮中央テレビは10日、米国の中間選挙結果で共和党が惨敗したとして、議席数などを挙げながら比較的詳しく報じた。

 

このように、米国主導の「北朝鮮敵視政策」とみられる動きは激しさを増しており、共和国の孤立化した状況はますます加速し固定化されている。第二次世界大戦後、日本の植民地支配より「解放」された朝鮮半島は、米ソの冷戦構造という世界情勢の中、両国の利害のみによって侵入され巻き込まれ、南北分断を余儀なくされた。この分断国家成立時より、既に米国の「北朝鮮適視」は始まっており、これは冷戦構造の延長線上にあるものであり、冷戦構造の生み出した結果であるということは明白である。さらに今日においても、米国は韓日との軍事癒着を強化しており、日本がその米国の「対北政策」に追従する形で、共和国に対し脅威と圧力を与え続けている。このような米国側の姿勢に対し、共和国側はその抑止力として、核武装・軍事的威嚇等を行うに至った。また、6者協議において、共和国側の要求である「二国間対話」を受け入れず、交渉ではなく強行的に自国の要求を受け入れさせるという圧力的な姿勢をもって、米国は関係を築こうとしている。

このような米国の、歴史性を顧みない不誠実な姿勢や対応は、共和国の強固な態度を一層強めさせ、朝米関係を改善に向かわせることなく敵対関係をますます悪化させるものである。さらには朝鮮半島の分断国家の固定化を助長するものであり、南北関係の進展を大きく阻害しているといえる。そして、この分断国家の成立の背景に、上述のような国家の利害関係のみによって推し進められ作られていった冷戦構造があり、その根本原因として米国が存在するといった点はまったく省みられていない状況であるといえる。

そして、朝米関係の悪化は、日米の軍事をはじめとするあらゆる癒着関係より、朝日関係にまでも悪影響を与え続けている。これらは日本の軍国化・右傾化を誘発し推進するものとして大きな役割を果たしており、日本の朝鮮植民地支配という歴史的事実をまったく省みることなく、忘却しようとするものである。米国が共和国を「悪の枢軸」などとし共和国の国際的位置付けを規定してきたことにより、朝米関係は常に悪化へと進んできた。そしてこれら朝米関係のあり方や変化は、共和国と日本の関係に直接に影響し、実際にあるべき関係性を大きく揺るがし隠し壊してきた。つまり、日本が植民地支配責任という問題に向き合うことの当然性には、まずもって目をそむけ続けることをも可能としてきたということであり、今現在もこの構造は変わることがない。

そして、朝日関係は日本に生きる在日朝鮮人へも多大なる影響を及ぼし続けている。南北分断によって在日朝鮮人内部の分断構造が生み出され、それが今現在も根強く在日朝鮮人社会に痕を残していること、日本国内の「北朝鮮敵視政策」による在日朝鮮人に対する「北・南」の差別や、朝鮮学校に対する嫌がらせ、これらを誘発し助長させている偏りのあるマスメディアなどがある。これらから顕著に見られる「北朝鮮」排除・抑圧の動きは、すべての在日朝鮮人の生をあらゆる面で規定している。このように、今日朝米関係の悪化をたどる中、改善されることのない米国の共和国に対する強硬的な姿勢は、朝鮮半島のみならず日本国内、さらには在日朝鮮人に、悪影響を与え続けていることは明白であり、これらの状況は在日朝鮮人に対し、自身の出自や歴史性、民族的アイデンティティと向き合う機会さえ奪い続けている現状がある。

現在、米国の世界的におかれる位置を見たとき、そこで行使されうる力は今や何よりも多大なものであるといえる。一方で孤立化する共和国との力関係の差は歴然であり、このような中で一方的にかけられる圧力によって現在の関係性が改善されることは不可能である。対等な立場関係をもっての朝米関係の改善、南北間の進展が必要であり、そのためには、現在の一極支配が成り立つ世界構造からの改善が必要だといえよう。さらには米国が歴史性を省みた真摯な態度をもつことが必要不可欠である。そうすることによって、対等で互いに尊重しあえるかたちでの対話が可能となり、在日朝鮮人に還元され意味をなしうる国交正常化の実現へとつながる。

我々韓学同京都は、米国主導により行われる共和国に対する敵視政策に反対する。そしてこれらを取り巻く世界的情勢と、それらがもたらす様々な影響力の動向に注視していくとともに、歴史性が省みられた上で、そして在日朝鮮人にとっても還元される形で、朝米関係の改善が行われることを強く求める。

 

 

 

●国際情勢 

 

イラク・イラン情勢

イラク〜

2006116日、イスラム教シーア派住民148人が殺害された事件に関して、イラクのフセイン元大統領がイラク高等法廷から死刑判決を受けた。この死刑判決を受けて、イラク国内は厳戒態勢がひかれたが、各地で衝突が続きイラク各地でイラク人計42人が死亡している。これに対し、ブッシュ米大統領は「独裁を法の支配にかえるイラク人の取り組みの中で画期的な出来事だ。若いイラクの民主主義と政府にとって偉大な成果だ」と強調する声名を出した。米国国内ではイラクに対する政策変更を望む声が高まっており、中間選挙の2日前にこの判決が出たことは、イラク戦争を正当化しイラクへの政策の成果を強調する働きとしての「政治利用」とみることが出来る。イラクの国内法に基づいた裁判とはいえ、イラクの国内法は米軍が占領していたときに、米国の支援の下制定された法律である。裁判官も、フセイン元大統領の統治下で迫害されていたイスラム教シーア派やクルド人だけで構成され、スンニ派は含まれていない。一方、EUは死刑廃止を加盟条件にしているため、この判決に異論が出ている。またこの死刑判決によって、イラク国内の更なる治安の悪化を懸念している。ただし、英国は判決を賛成している立場を表明している。日本の安倍首相は「イラクにおいて法律の支配のもとに公正な裁判が行われたと認識している」と発言した。これは、米国によるイラク戦争の正当化を促していくものに他ならない。

同年11月7日投開票があった米中間選挙で、イラク政策の見直しを掲げた民主党が上下院で多数派を奪還する圧勝となり、政治状況が変化したことを受けた動きである。同月8日、米中間選挙結果を受けて、ブッシュ政権のイラク政策を支えてきた中心人物であるラムズフェルド米国防委員長が辞任することを表明した。同月10日スノー米大統領報道官は、米国のイラク政策に関して新たな方向を探る有識者による超党派の集まり「イラク研究グループ」メンバーらが週明けの13日にブッシュ大統領と会合すると明らかにした。これは、米国のイラク政策を見直す作業の一環とみられる。

同年11月20日、米中間選挙で民主党が圧勝したのを受けて注目されるイラク戦略の見直しに関して、ワシントン・ポスト紙は、ペース統合参謀本部議長の指示を受けて米軍内部で代替策を検討しているグループが、1、増強 2、規模を縮小した上で長期的に駐留継続 3、全面撤退、の三つの選択肢にシナリオを絞っていると報じた。このうち短期的に2万〜3万人程度米兵を増強し安定化をはかった上で、イラク治安部隊の育成訓練を進め、長期的な米軍の役割は顧問的なものに限定するという形の、1と2を組み合わせた複合戦略を勧める見込みが強いという。

米国のイラクへの政策転換は、日米関係にも大きな影響を及ぼすことが予想される。日本の安倍首相は「日米同盟関係は揺るぎない関係で、そのことにはいささかの変更もない」と述べ、対イラク政策では「日本は独自の判断として復興支援を行っている」と改めて変更はないとの考えを示した。2007年7月に期限切れとなる「イラク復興支援特別措置法」への対応など対イラク政策だけでなく、米国の敵視の対象となっている共和国に対する政策についてなど、今後の動きに注目していかねばならない。

20061119日、イラク移民難民省は同年2月以降で、家を暴力で追われた国内避難民が20万人に達したと発表した。イスラム教スンニ派とシーア派の対立が悪化して国内避難民は増え続けている。イラクで同年2月に中部サ―マッラでシーア派モスクが爆破されて以降、宗派対立が悪化している。同年11月に入ってから、イラクの首都バグダッドでは、シーア派とスンニ派の対立が11月に入って激化し、過去数ヶ月の「報復合戦」の結果、チグリス川をはさんで両派の住み分けが進んだが、双方の地域からは砲弾が飛び交い、同年11月初旬の一週間だけで100発近くになり、犠牲者は増える一方である。スンニ派とシーア派の対立は、旧フセイン政権が崩壊して以降、悪化の一途を辿る。米国の反対勢力を「テロ」と決めつけ排除し、「治安維持」のためのイラク駐留を通して、米国の介入・圧力が存在し、イラク国内の情勢悪化は進行していくばかりである。

2006713日、イラク南部ムサンナ州の治安権限が13日、英豪両軍からイラクに正式に移譲された。034月の米英軍による侵攻後、全外国軍が撤退し、全ての治安をイラク警察が担うのは同州が始めてである。同様の移譲が各州で予定されているが、ムサンナ州が多国籍軍と交わした覚書は、イラク側の調整を前提としつつも、多国籍軍司令官の裁量で「多国籍軍兵士が州内に展開できる」とあり、豪軍の現地司令官は「今後は(80キロ南の)タリル飛行場でいつでも支援できるように待機する」と述べた。米軍やマリキイラク首相は年末までにバグダッド、アンバルなどの一部の州を除き、大半の州で移譲を行いたいとしているが、首都周辺での州派対立は内戦に近い状況であり、米軍はなお127千人の兵力を維持する。

2006924日、イラク国民議会の各政党は最大の政治問題である「地域連邦制」導入について、少なくとも今後一年半の間、凍結することで合意した。新憲法に盛られた「地域連邦制」導入についてはスンニ派が激しく反対し、憲法修正を求めているため、憲法改正については、同月5日に検討委員会を解説することで折り合った。現在のイラクの憲法は米国政府が民族や宗教などの各地域の実態を反映させるものであるが、これはあくまで、米国から見たイラクの「実態」にあわせるものである。米国はイラクの民主化を一方的に押し付けている。米国は民主化した先でなく、西欧型の近代化の推進、欧米型民主主義・自由主義制度の導入を狙っている。

イラクは、米ソによる冷戦構造に巻き込まれた存在であるといえる。米国は、サウジアラビアなどの石油開発を一手に握り、中東における石油権益の獲得、ソ連の湾岸地域への南下の阻止を狙い、イランと軍事協力協定を結んでいた。しかし79年にイラクではフセイン新政権が発足し、イラン革命によってイランが反米化して以降、西側諸国のイラクに対する期待が高まっていた。フセイン政権下のイラクは石油収入を得て西欧諸国に接近し、イラン・イラク戦争にて米国とイラクは結びつきを強め、軍事大国となった。しかし、イラクがクウェートに侵攻したことで米国との関係は悪化した。2001年同時多発「テロ」以降、米国は「対テロ戦線」を推し進めてきた。米国により悪の枢軸と名指しで非難されたイラン・イラク・共和国に対し、一方的に敵視の姿勢をとっている。イラク国内の政治に介入し、自国の都合からみた論理に即して自分に反対するものを「テロ」として規定し、弾圧・排除していく。米英国はイラクに対し、「テロ支援国家」、「大量破壊兵器の拡散防止」という名分の下、イラク戦争を開始し、フセイン政権を崩壊させた。米国はイラク国内の治安回復のために、米軍をイラクに駐留させ、反対勢力に対し武力をもって制圧しにかかっている。米国は、親米の新政府を打ちたて、新憲法作成時には米国側の基準・論理でもって介入している。このように、米国は自国中心主義を貫き、自国の利害関係から相手を「テロ」と規定することで自国を「正義」とし、それを巧みに利用している。

 

〜イラン〜

20061023日、IAEA(国際原子力機関)筋が、イランは核燃料濃縮施設で、ウラン濃縮に使う新たな遠心分離機164機を組み立て、回転試験を実施していることを明らかにした。その装置でウラン濃縮は始めていないが、国連安保理での制裁決議が本格化するのを目前に控え、濃縮停止を拒否する強硬姿勢を改めて示した。同年4月、1機目のカスケード(濃縮装置)で原子力発電に利用可能な5%レベルの低濃縮ウランを少量製造しており、ウラン濃縮実験を行っていた。

同年1024日、イランの核問題をめぐり、英仏独がイランに対する国連安全保障理事会の制裁決議原案を常任理事国5カ国に提示した。その柱としては、核開発関連物質や資金の移転、関係者の海外渡航の禁止などがある。2006731日、国連安保理常任理事国とドイツの6カ国はイランにウラン濃縮活動の全面停止を求め、それに従わない場合の経済制裁に言及した国連憲章第7章に基づく国連安保理決議案を採択した。安保理決議をイランは拒否し、核開発を継続する意向を示した。同年66日、イラクの「核問題」をめぐって、国連安保理常任理事国とドイツの6カ国外相がイランに対し、ウラン濃縮活動を停止した際の見返り案を盛り込んだ包括提案を提示していたが、823日にイランはこれを拒否する回答を提出し、ウラン濃縮を続けている。従わない場合は国連憲章第7章に基づく経済制裁を発動することを警告していた。イランへの制裁に関して、中露は厳しい制裁に反対し、制裁に対して批判的であるのに対し、米国はより厳しい措置を求めている。このため、制裁決議の交渉が続けられる見通しである。イラクは一貫して「平和利用目的ならウラン濃縮も正当な権利である」と主張している。同年831日、米国のボルトン国連大使は米国のテレビ番組に相次いで出演し、イランに対し「EUや日本などが安保理抜きで出来る制裁がある」と述べ、「有志連合」による制裁発動を呼びかけた。発言の背景には米国などが強く望むイラン経済制裁実施を盛り込んだ安保理決議に対して、拒否権を持つ中国やロシアが反対していることがある。安保理決議とは別の選択肢があることを示して、イラン政府と制裁に慎重な安保理メンバーに圧力をかけた。同年9910日の二日間にわたって、EUのソラナ共通外交・安全保障上級代表とイラン核交渉責任者のラリジャニ最高安全保障委員会事務局長はウィーンで会談した。この会談は、イランが一時的なウラン濃縮活動を最大2ヶ月間停止することを検討するという内容について話し合われた。同月14日に予定されていた再協議は延期されたが、協議は引き続き行われる予定である。

そもそも、イランは中東における冷戦構造の影響を受けている。親米路線から、イラン革命を経て反米を掲げるようになったイランを敵視し、米国の中東の石油利権やソ連の湾岸部への南下を防ぐ目的で、中東へ進出した。米国はイランを、一方的に「テロ支援国家」と規定し、「悪」と決めつけ、徹底的に抑圧し、排除する動きの中にある。米国主導の「対テロ戦線」は、米国にとっての都合の良し悪しによって利用されている。米国は自国の論理にそぐわないものを「テロ」と規定することで、相手を「悪」に仕立て上げ、弾圧・排除していく。「テロ支援国家」とされたイランへの制裁に対し、EUなどの慎重な姿勢や中露の反対姿勢もある中で、米国は自国の論理を押し通し、制裁へと踏み切る姿勢を強める一方である。

 

200698日国連総会は地球規模で「テロリズム」対策に取り組むことをうたった「国連グローバルテロリズム戦略決議」を全会一致で採択した。採択された決議は「バイオテロ」を阻止するために国際的なデータベースを構築することなどを提唱したが、「テロ」の定義や「テロ支援国家」に関する言及は見送られた。シリア代表は採択後「定義や解釈に曖昧さが残る。テロとは関係なく政治的な意図に利用されかねない」と演説したほか、アラブ諸国は「民族自決のための戦いはテロではないことを明確にすべきだ」など、留保を表明した。またイスラエル代表はイスラム教シーア派武装組織ヒズボラなどを支援しているとしてイランやシリアを批判した。

このように大国にとって自国の利害関係から、その内実を問わず、都合のいいように利用できる「テロ」という言葉を用い、相手を一方的に「悪」と決め付け、排除しようとしている動きが世界規模で拡大していっている。国家の論理によって抑圧・排除されている存在による抵抗は、「テロ」と規定され、問答無用で先制攻撃の対象とされうる。「テロ」と規定することで、大国は自国にとって都合の悪い存在を抑圧・排除している。

20066月、米国が推進する「対テロ戦線」に呼応する形で、日本や英国で出入国管理を強化する動きがあった。日本では入国する外国人に対して指紋や顔写真の提供を義務付ける「改正」出入国管理法が米国についで2番目に成立している。在日朝鮮人などの特別永住者はこれから除外される。しかし、このような「対テロ戦線」に対する動きは、日本に対し、ひいては在日朝鮮人に対して大きな影響を及ぼしている。

在日朝鮮人は、このような国家の論理に振り回されている存在である。そもそも在日朝鮮人が生み出された根本的な原因である日本による朝鮮植民地支配は、近代国家の論理に基づいて行われたといえる。そして米ソの冷戦構造に巻き込まれ、取り巻いている国家の理論によって朝鮮半島は分断され、在日朝鮮人は日本国内に在りながら、朝鮮半島の情勢から波及する影響を強く受ける存在である。

 

2001年の同時多発「テロ」以降、米国はイラン・イラク・共和国を「悪の枢軸」と名指しして、一方的に自国の論理を「正義」とし、それにそぐわないものを「テロ」または「テロ支援国家」と規定し、排除・抑圧しつづけている。自国の利害関係に照らして、「敵」をつくりだし、「テロ」または「テロ支援国家」として仕立てて、自国の論理を押し通す動きは拡大していっている。その中で、共和国は、国家の成立当初から、米ソ対立による冷戦構造に組み込まれており、米国は共和国に対し敵視の姿勢を一貫している。米国との癒着が強い日本においても、米国に追従する形で、共和国を敵視する政策をとっている。日本の共和国敵視は日本国内で暮らす在日朝鮮人にとっての影響は大きく、在日朝鮮人に対する差別や抑圧を生み、自身と向き合う機会を奪われていている。

2006718日、イラク南部サマワで復興支援活動を続けてきた陸上自衛隊の撤収が完了した。そして、陸自撤退に伴い、航空自衛隊の活動拡大の動きがある。2年半に及ぶイラク陸上自衛隊派遣に区切りをつけた小泉元首相は「イラクのみならず、日米同盟の重要性を認識しつつ国際社会の中での責任を果たしていく」と、日米同盟の重要性を強調した。同年629日、ブッシュ米大統領と小泉元首相は21世紀の地球規模での協力のための新しい日米同盟を宣言した。内容は、「1,普遍的価値観と共通の利益に基づく日米同盟 2、政治・安全保障・経済面での二国間の協力」を掲げている。日本政府は、「テロ対策措置法」「イラク特別措置法」に基づいて自衛隊を派遣し、また、同年826日、日本政府は11月に期限切れとなる「テロ特別措置法」を一年延長する方針を決定した。日本政府は日米同盟を掲げて米国の世界戦略に追随している。これは、日本国内が着実に軍国化しているといえる。

 

我々韓学同京都は、米国主導の「対テロ戦線」が、武力行使や制裁などの先制攻撃などを正当化する風潮・論理を生み出すものとして、反対していく。また、日米の癒着による日本の軍国化の動きにも注視し、今後この動向を追っていくとともに、在日朝鮮人が生み出された根本的な原因である植民地支配を顧みていない日本政府の姿勢に対し、断固として糾弾していく。

 

 

 

パレスチナ・レバノン情勢

 

2006712日、レバノン南部を中心に活動を展開しているイスラム原理主義シーア派組織ヒズボラ(以下、ヒズボラ)がイスラエルとの国境地帯でイスラエル兵二名を拉致し、イスラエルの刑務所に拘束されているレバノン人の囚人との交換を要求した。しかし、イスラエルはこれを拒否しイスラエル軍がレバノン侵攻を開始、8月14日の停戦決議に至るまで1カ月以上に及ぶ戦闘のきっかけとなり、現在もパレスチナ、イスラエルを中心とした中東での紛争は続いている。

 この戦争にて「ヒズボラの壊滅」に失敗したことで、イスラエル国内からはオルメルトイスラエル首相の指揮能力に対する強い批判が出された。これを受けオルメルト首相は、シャロン前首相から引き継いだヨルダン川西岸から軍隊を撤退させるという「パレスチナの一方的分離政策」を凍結することを決めた。この分離政策とは2005年にシャロン前首相が行ったガザからの撤退に続いたもので、大規模なユダヤ人入植地をイスラエルに併合しつつ小規模な入植地は廃止し、「西岸からの部分撤退」を実現するという構想であった。

 このイスラエルによるレバノン侵攻についての国連の動きとして825日に開催された欧州連合外相会議にアナン国連事務総長が緊急出席し、レバノンで停戦監視に当たる国連レバノン暫定軍(UNIFIL)への部隊派遣要請を行い、レバノン、パレスチナ自治区、イスラエルなど中東各国を随時訪問した。

 そのような動きの中、イスラエル、パレスチナ関係は、パレスチナ自治政府内閣を主導してきたイスラム原理主義組織ハマスのハマド内閣報道官が912日、ハマスとパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハが合意した「挙国一致内閣」に関して「新内閣がイスラエルと和平交渉を行っても問題はない」と表明した。そしてパレスチナ自治政府のアッバス議長は921日、国連総会で一般演説を行い、パレスチナの新政権はイスラエルを承認すると述べた。

オルメルト首相も中東「和平」について1016日開会した国会で演説し、レバノンのシニオラ首相と直接会談してレバノン紛争後の和平について議論したい意向を表明した。レバノン側はこれを拒否したが、パレスチナ和平についてもオルメルト首相はパレスチナ自治政府のアッバス議長を和平について協議する「正当なパートナー」だと言明、議長と直ちに会談する用意があるとも強調した。

 中東情勢の混乱、特にパレスチナ、イスラエルを中心とした紛争は、19世紀末より本格化したユダヤ人によるシオニズム運動、それを「支援」するという形で自国の利益に結びつけようとした英国を筆頭とした当時の大国の中東をめぐる帝国主義的政策を起源としている。そしてイスラエルの建国宣言後、東西冷戦期には米国、ソ連が互いにイスラエルの利権に絡もうとする政策に転じ、結果として米国の後押しを受けることとなったイスラエルの対パレスチナ強硬政策によって事態はより複雑化することとなった。

 シオニズム運動とはユダヤ教の聖地であるシオンの地に、世界的なユダヤ人差別から逃れてきたユダヤ人を結集させようとする運動である。この「シオンの地」があるエルサレムはイスラム教にとっての聖地でもあり、これがパレスチナをめぐる紛争の宗教的側面となっている。

 そしてシオニズム運動は英国の帝国主義的政策によって急速に加速することとなる。20世紀初頭、植民地獲得が世界の主な動きとなっていた最中、ユダヤ人が多く住んでいた英国はその植民地獲得のための資金提供を自国内の有力ユダヤ人に要請する。その見返りとして英国は、パレスチナをユダヤ人の「ナショナル・ホーム」とすることを約束した。さらにパレスチナに対しても当時英国の主敵であったドイツ、トルコに宣戦布告をすれば今後支援するとし、フランスとの間で中東を分け合うという協定までをも結ぶという狡猾さを見せたのである。第一次世界大戦後、英国がパレスチナを国連委任によって統治することとなったが、英国の承認を得ているということや、ナチスドイツのユダヤ人排斥の動きが加速する中、ユダヤ人のシオニズム運動は更に高まることとなる。

 1948年、英国の統治が終わったことでイスラエルは建国を宣言した。建国後イスラエルはパレスチナを完全に掌握した。これによりパレスチナ人は住む場所を追われることとなり、現在も大きな問題とされているパレスチナ人難民が生み出された。

 その後、米国、ソ連という「二強」が互いに覇権を競う冷戦時代が幕を開け、中東の地も冷戦構造に巻き込まれることとなる。米ソ両国から経済的、軍事的援助を受けた結果、中東は暴力のるつぼと化し米国の全面支援を受けるイスラエルは着実に中東においての力を伸ばしていった。現在もイスラエルに対する米国の支援は続いており、中東各国に影響力を行使している。

 2001911日の同時多発「テロ」以降、「テロとの戦い」を大義名分とした米国を中心とした対「テロ」戦線は着実に拡大、強化されている。イスラエルにおいてもその「大義名分」を根拠にしたパレスチナ人弾圧は留まる所を知らない状況である。イスラエル人の最大入植地である西岸地区には「テロリスト」侵入阻止を謳った巨大な隔離壁が建設された。現在イスラエルはこの西岸地区からの撤退構想を示しているが、未だこの西岸地区やエジプトとの国境付近では「テロリスト」の侵入阻止や武器密輸阻止という名目の武力弾圧は毎日のように続いている。111日にもパレスチナ側からイスラエル領内へのロケット弾攻撃の阻止のため発射拠点を破壊するという名目でガザの住宅街に向けての武力攻撃が行われた。
 この武力攻撃に対し、国連安保理は1111日、イスラエル軍によるガザの住宅砲撃を非難し、ガザからの同軍撤退を求める決議案を採決した。しかし米国がこの中で、「イスラエルへの偏見に満ち、政治的動機に基づいている」として、7月に中東唯一の国連安保理国であるカタールが提出した同様の決議案採決が行われた時に続き、拒否権を行使し決議案は採択されなかった。更に米国はイスラエルのレバノン侵攻に乗る形で、レバノン、シリア間の確執について反シリア派のレバノン閣僚を支持する姿勢を執っている。米国はシリアに対し「テロ支援国家」と位置づけており、これらからも対「テロ」という名の「正義」を米国は現在も継続して大義名分としていることが伺える。

そして一方的に「テロリスト」とされるパレスチナ人民はこのような国家の論理に翻弄され、その抑圧から難民となることを強いられていると言える。また、今回のレバノン侵攻においてもイスラエルの「対テロ政策」として、それが国際関係の下容認されうる構造があり、国家の一方的な論理のみがいとも簡単に押し通され、結果的に弾圧が生じる構図となった。

 在日朝鮮人に関しても一方的に規定され、国家の論理に翻弄されてきた歴史性を持つ存在であるという点で同一性が見える。在日朝鮮人は植民地拡大政策を目的とする帝国主義構造によって生み出された。植民地支配からの「解放」後も冷戦構造の下の「南北分断」による影響等、植民地支配責任に目を背けた日本を筆頭とした国家の一方的な扱いに晒され続けられていると言える。このことからもパレスチナ、レバノンを始めとする弾圧の動きは、我々在日朝鮮人にとっても見過ごすことのできない問題であると言える。

 我々韓学同京都は、在日朝鮮人の置かれている立場性から、米国を筆頭とする対「テロ」政策に断固反対するとともに、国家の論理に翻弄されるあらゆる人々の弾圧廃絶を強く求め、今後もパレスチナを中心とした中東情勢を注視していく。

 

 

 

 

 

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